衣谷の日記

フランス在住働くシングルマザー

2022-01-01から1年間の記事一覧

男性の野心家と女性の野心家について思ったこと

野心的で、夢を追い求める男性が、40を過ぎても独身だったりすることがある。女性に特にモテなかった訳でもなく、人間的にもまともで、結婚できなかったということではない。ただ不安定な自分の夢を追う人生に集中しているうちに、一人を選んできた結果だっ…

ノーメイクの時の眉毛問題

40代の半ばくらいから、眉毛やまつげが薄くなった。そういう女性は多いのではないかと思う。まつ毛にマスカラを付けるのを、40代の終わりくらいから、完全にあきらめていた時期がある。あまりにも地まつげがなくて、マスカラを付けるところがなかったからだ…

ラインハルトとの16年間 ㉖赤ちゃんの扱い

私にはラインハルトが赤ちゃんの時、フィリスからどう扱われたのかを知ることはできない。しかし、フィリスが私の子供たちをどう扱ったか見ることで、ラインハルトをどう扱ったかを少し想像することはできる。 とはいえ、当時私は、子供たちとフィリスの間の…

ラインハルトとの16年間 ㉕ヘルメットの話とずれたお節介

この話は、フィロメナがバカだという以外に、以前はあまり私の関心を惹かなかったエピソードである。実際、すごくバカバカしいと思う。 ラインハルトが1~2歳のころのことだと思う。まだ歩行が得意でない時期、小さな赤ちゃんは、よくまたがって乗る車のよう…

ラインハルトとの16年間 ㉔ノートびりびり事件

ラインハルトは、自分が子供のころの話はあまりしない。しても、部分的だったり、個別のエピソードだけで、私としては全体像はつかみにくい。 そのうちのいくつかをこれから書いてみようと思う。 ラインハルトのお姉さんたちは、小学生のころ勉強がよくでき…

ラインハルトとの16年間 ㉓耳の話

フランスでは、と言っていいのかどうかわからないが(ほかの欧米諸国でもそうかもしれないので)、耳が立っている、あるいはとがっているのは、あまり評価されないらしい。頭の形に添って寝ている耳がよい耳で、頭から少し離れている耳は格好が悪いらしい。 …

ラインハルトとの16年間 ㉒下のお姉さんコリーヌ

これはコリーヌの話というより、フィロメナのことを書くために、コリーヌのことを書いているようなものだ。 私は、コリーヌがペルチエ家で最も健全な人だと思う。私が今でも直接の関係を保っているのは、コリーヌとクロードだけである。 コリーヌの容姿はブ…

ラインハルトとの16年間 ㉑ルフェーブル夫妻の家

エクス滞在中は、私たちはヴェロの家に寝泊まりさせてもらい、着いた翌日か何かに、昼間、ルフェーブル夫妻を訪ねた。ヴェロに送ってもらったのではないかと思うが、ヴェロが同席していた記憶はない。 あまり何の変哲もない静かな住宅地の明るい道路に面して…

ラインハルトとの16年間 ⑳ゴッドマザー、ヴェロニック

ラインハルトのゴッドマザーが、ルフェーブル家次女のヴェロニックだった。ラインハルト以外の子たちは、ルフェーブル家の人をゴッドマザー、ゴッドファーザーとしていない。今となっては、ラインハルトが唯一のルフェーブル家との公式な関係を持っていると…

ラインハルトとの16年間 ⑲母フィロメナとルフェーブル家

私は一度だけ、フィロメナの雇い主だったルフェーブル夫妻のうちに行ったことがある。 ルフェーブル夫妻は、もともとパリの出身だったが、当時フランス領だったアルジェリアで起業していた。ルフェーブル家は、昔からのお金持ちで、パリのブルジョワ階級の家…

ラインハルトとの16年間 ⑱母フィロメナ 2

フィロメナは、アルジェリアで、あるフランス人窓サッシメーカーの社長の家にやとわれた。ルフェーブル社長夫妻には、男の子一人、女の子二人の3人の子供があって、彼女はその子供たちのベビーシッターとして、住み込みで働き始めた。フィロメナが17歳の時で…

ラインハルトとの16年間 ⑰母フィロメナ 1

ラインハルトの抱えている問題を語るには、母フィロメナについて知ることが最も重要なことであるように私には思える。私がフィロメナに初めて会ったのは、ラインハルトからブランディンの妊娠中の写真を見せてもらって、間もなくのことである。 ラインハルト…

ラインハルトとの16年間 ⑯ペルチエ家の長女

私がラインハルトと付き合い始めた年、ラインハルトの上のお姉さんブランディンは妊娠していた。ブランディンは、ラインハルトより8つ年上だ。 ラインハルトのペルチエ家は、お父さんクロード、お母さんフィノメナ、上のお姉さんブランディン、下のお姉さん…

ラインハルトとの16年間 ⑮付き合い始めのころのことと、ある晩の教会からの帰り道

私たちは8月に付き合い始めたが、私はマリカちゃんと暮らし続け、ラインハルトは13区の小さなストゥディオとパリ東郊外の実家を行ったり来たりして暮らしていた。まだそのころは、私は彼の実家に行ったことはなく、どんな付き合いをしていたか、不思議なほど…

ラインハルトとの16年間 ⑭日仏カップル

私の在仏20年来の親友の一人、日仏ハーフのミカちゃんは、いつも私に言っていた。フランス人男性で日本人女性を選ぶ人には、あるタイプがいる。「フランス人女性とうまく付き合えないから、従順な日本人を選ぶ」と。ステレオタイプな言い方になるが、フラン…

ラインハルトとの16年間 ⑬奇妙な告白

サッカー観戦の後、ほかにも会った日があったかどうか、あまり覚えていない。それでも、私はラインハルトがどんな友達を持っているか、大体どんな生活をしているか、見知っていた。私と同じ国立大学にいたのだから、彼の友達たちも含め、社会階層とか文化・…

ラインハルト との 16年間 ⑫  サッカー観戦をした日 のことを 考えてみる

それまで 二人で 会っていた時には 、 手をつなごうとか肩を抱こうといったようなそぶりを全く見せなかったラインハルトが、 突然 サッカー観戦をした後の散歩で、 あんなふうにしつこく私につきまとった理由について、 先日書いてみて初めて気が付いたこと…

ラインハルトとの16年間 ⑪サッカー観戦をした日

マリカちゃんと、ペール・ラ・シェーズ墓地でラインハルトに会った後、マリカちゃんはにこにこして、「ラインハルト君はりんさんを気に入ってるんですね」と言った。 そのあと、またラインハルトから誘われて、みんなでサッカーのリーグ戦を見に行こうという…

ラインハルトとの16年間 ⑩ペール・ラ・シェーズ墓地の散歩

ラインハルトと初めて会った日から、付き合うようになるまでの期間はかなり短かった。3か月もなかったのではないかと思う。しかも、その間、おそらく数回しか会ったことがなかった。 BHVで初めてデートのようなことをした次に会ったのは、ペール・ラ・シェー…

ラインハルトとの16年間 ⑨自己愛にあった欠陥

よく、PNの獲物となる人は、本人の自己愛に欠陥があると言われる。もともと、自分に自信がなく、人に頼りがちだったり、人の承認を必要とする人間である場合もあるが、タイミングもある、ということをよく聞く。 例えば、新しい職場で、試験期間を乗り越えて…

ラインハルトとの16年間 ⑧BHV、最初のランデヴー

ラインハルトは、私のレポートを手伝いにきた時、素晴らしい場所を教えてあげる、と言った。なぜそれが、日曜大工の殿堂BHVだったのか、よくわからない。でも、日本人の私が知らなそうな場所で、観光客が行かない場所で、彼自身が面白いと思う場所だったのか…

ラインハルトとの16年間 ⑦ レポートの手伝い

私は、前にも書いたとおり、自分の自殺防止、とまでは行かなくて、引きこもったり落ち込んだりしないために、アパートをシェアしていた。そのくらい、失恋の痛手は大きく、当時それに対抗できるだけの私の生きがいは、勉強に邁進することだった。わざわざ留…

ラインハルトとの16年間 ⑥ 学食での再会

私は、最初にDL先生のことを話したメトロの中で、「とても興味はあるが、授業ではフランス語が難しくてついていけない」というようなことを、ラインハルトに言った。別に相談をするつもりもないし、何かの助けを求めるつもりはなく、事実ではあったけど、た…

ラインハルトとの16年間 ⑤「ドニは僕の友達なんだ」

初めてラインハルトに出会った展覧会と、そのあとのカフェからの帰り道、我々若者グループはみな、途中まで同じメトロに乗った。メトロの車両の出入り口のところにたむろして立って、しゃべるともなくしゃべっている。 そこでも、ラインハルトが会話を主導し…

ラインハルトとの16年間 ④出会い

出会ったきっかけは、当時私が行っていた大学の友達で、イラン人のシマに、ある展覧会に誘われたことだった。シマとは今でも仲良しである。 私がナンテールの大学の修士課程に編入した翌々年のことである。シマと私は同じ研究室にいた。 前にも書いたが、私…

ラインハルトとの16年間 ③ひとつ前の恋愛

この話は、二年前のブログにも書いているので、多少繰り返しになる部分もあると思うが、今回のほうが少し具体的に、状況がよくわかるような書き方をしたいと思う。 フランス人元夫と出会う直前、私は自分の人生の中でもトップ5に入ると思っている出来事があ…

ラインハルトとの16年間 ②出会う前の私

私がフランスに来たのは、1998年の2月14日である。29歳の誕生日の前夜だった。 その前にも、2度ほどフランスに語学研修に来ているが、その後フランスに定常的に住むことになった滞在の最初の日、私は一人でパリ・シャルル・ド・ゴール空港に降り立った。 バ…

ラインハルトとの16年間 ①前書き

2年前、このブログを開いた。少しだけ書いて、結局続けられなかった。状況はどんどん変わったし、やはり私自身が、まだ自分の体験から近すぎて、感情に振り回されずに書くことはとても難しかった。 今年の1月から、子供たちは正式に私のうちに住むことになり…