衣谷の日記

フランス在住働くシングルマザー

ラインハルトとの16年間 ㉑ルフェーブル夫妻の家

 エクス滞在中は、私たちはヴェロの家に寝泊まりさせてもらい、着いた翌日か何かに、昼間、ルフェーブル夫妻を訪ねた。ヴェロに送ってもらったのではないかと思うが、ヴェロが同席していた記憶はない。

 

 あまり何の変哲もない静かな住宅地の明るい道路に面して、その家は建っていた。家が建っていたというのは語弊がある。家の門が、その道路に面していた。

 私たちはお手伝いの男性に門を開けてもらって招き入れられた。手入れの行き届いた芝生の、広くも狭くもない前庭があって、モダンなシンプルな白い住宅が建っていた。今建ったばかりのようにきれいだったが、それは素材や手入れがよいからなのか、最近移り住んだのか、忘れてしまった。ただ、アルジェリアから引き上げてすぐに住んだにしては、新しいスタイルの家だった。

 

 家の中は、天井が高く、やはり白く、すっきりと片付いていた。なんとなく、大きすぎるノリのきいた服を着ているような、そんな印象だった。私はとても緊張していたのか、あるいは前の晩、慣れないヴェロの家でよく眠れなかったか、あまり細かい記憶がない。

 

 ルフェーブル夫人がいて、お手伝いの女性がいて、確か、ルフェーブル氏のほうは外出中だった。私たちの訪問の間に結局帰ってこなかったか、帰ってきても、何か挨拶をしただけで、さっさと出て行ってしまったような気がする。それともそれは、トマだったか。

 ルフェーブル夫人は、小柄で、金髪をカールさせてきれいにまとめてあり、優しそうではあったが、同時に冷たく、あるいは厳しくも感じた。距離を取っていた、と言うべきかもしれない。なにか、敬意を払わねばならない圧力のようなものを感じさせる態度だった。

 簡単には、仲良くなれないぞ、という感じ。

 

 彼女は、せかせかと広い前室を横切りながら、私たちを案内した。荷物はあそこに、もし手を洗うならあちらにバスルーム、お茶は庭のテラスで飲みましょうね、などと、話しながら。

 お茶の準備をするのに、キッチンに寄って女中さんに声をかけた。私に、どんなお茶が口に合うかと聞き、私は何でも、と答えた。それでも、東洋人にはこれがいいかあれがいいかなどと一人で言って、結局女中さんに任せずに、自分でお茶を入れ始めた。私たちは、どこからテラスに行けばいいかもわからないので、ただマダムのいるキッチンにいて、ラインハルトは彼女に聞かれた質問、フェリスやクロードの様子、クロードの父親の健康などについて、こたえている。

 ルフェーブル夫人は、女中さんに、何かの整理の仕方がよくないことを、てきぱきと言って指示した。感情を交えず、とても事務的に。それが女中への正しい態度のなのかもしれないが、その態度が、私たちへも同じように向けられているようだった。

 

 そのキッチンは圧巻だった。高い天井に至るまで、壁という壁が収納棚で、真っ白い扉が何十もキッチンのファサードを埋めていた。上のほうは手が届かないし、中に何が入っているか見えないから、使いこなすのは難しそうだった。キッチンの料理をする場所よりも、収納する場所のほうが圧倒的に大きかった。

 ルフェーブル夫人は、食器がたくさんあるのだと言った。こんなにたくさんの食器を、いつどんな機会に使うんだろう。普通の人なら、一生に一回、結婚式ででもこんな必要ないと思う。きっと、高価な品で、財産の一部なのだろうと思った。

 

 今思えば、客をサロンに招いたり、どこかに座らせたりせずに、キッチンで手持無沙汰に待たせたのは、私たちが使用人の家族だったからかもしれない。親しい友人なら、もちろん、招かれていきなり、食事の支度中の奥さんを手伝いながら、キッチンに入っていくことはよくあるが、初めて会う人にそれはなんだかおかしなことだ。私は結局、この家のサロンを見ずに帰った。

 何年ぶりかわからないような娘の名づけ子が訪ねてくる機会に、留守をしていていなかったご主人のほうも、なんだかなと思う。こちらはそのためにはるばるエクスまでも来たというのに。

 とはいえ、私はそんなことはそもそもどちらでもよかった。エクスを見てみたかったのだし、未来の夫がそうしたいというなら、そうする価値のあることなんだろうというだけのことだった。ルフェーブル夫妻に恩を施されたのは私ではないし。

 長いこと連絡していない相手というのはお互いに相手を必要としていないのだから、たぶんラインハルトが誰と結婚しようと、彼らにはかなりどうでもよい関係のない話だったのだと思う。それをわざわざ遠方はるばるやってきたのは、それにかこつけて、関係を保持しようとするちょっと人工的な付き合いのにおいがする。そういうことを、ルフェーブル夫妻はあまり好まなかったのかもしれない。

 

 さて、お茶の準備が出て、テラスに移動した。

 それがなんと、テラスから見える風景がものすごかった。車できてわかっていなかったが、そこはエクスの高台にあるらしかった。キッチンからテラスに出ると、そこはいきなり、見晴らしの良い庭になっていた。

 私たちがやってきた道路側は、大きめではあるがごく普通の物件に見えたが、母屋を挟んで反対側は、すとーんと、建物で言えば3階分くらい下に下がっていた。崖の上に立っている家といってもいい。

 だから目の前は大きく開けていて、そこからは、街の小さく見える屋根やねとその向こうの緑、さらに向こうの山が見えた。

  「あれが、セザンヌの描いた山。」と、日の当たった向こうの山に、マダムが目配せする。「あ。」私は遠くに、サント・ヴィクトワール山を見た。あらまあ、こんなこととは。そこで、ああ、本当のお金持ちって、こういうことね、と思った。

 

 いや、セザンヌの山だけではない。石張りのテラスは、それなりにゆったりしたサイズだったが、その向こう、崖になっているところは、母屋の軸に合わせて左右対称に描かれた、フランス式庭園の中にあるカスカードのようなものになっていて、水が流れていた。そして一番下のところに、細長いプールがあった。どれもこれも真っ白で、水は澄んで、カスカードの両側の緑は剪定され、とてもよく維持されている。

 それには、私はかなり驚いた。こんなものを個人邸で持っている人を、私はほかに知らない。

 かなり急なカスカードで、その両脇の白い石段を歩いて降りられないことはないけど、戻ってくるのは骨が折れそうだった。たぶんプールに行く時以外は、ただ見るためのものだった。見るためだけにこんなものを作るなんて、よほどお金に余裕がなくてはできない。

 ついでに言うと、母屋も左右対称で、なんとなく真四角くて、古典主義的な建物だった。

 建築的にそんなに素敵だとは思わなかったけど、それはお金のかかったものであることは確かで、しかも、誰か建築家が、この土地のために設計したものであった。いや、もしかすると、私が行かなかったサロンに行けば、この建築の魅力が理解できたのかもしれない。

 

 私たちは、その不思議な風景を見ながらお茶をいただいた。ルフェーブル夫人は、ラインハルトにも質問したが、とても珍しいことに、私に直接いろいろなことを聞いた。日本で何をしていたのかとか、今はどんな研究をしているのかとか。私が日本の大学で教えていた時期があったことを話すと、日本の大学の仕組みや、フランスではどういう立場にあたるのかなど、少し突っ込んで聞いてくれた。ラインハルトにより、私に直接興味を持ってくれたように感じた。

 私がラインハルトと一緒にいるときに、いつも感じていた疎外感や、人々が私を「あのラインハルトの日本人妻」というレッテルを貼って遠巻きにみているときの自分が存在しないような感覚を、彼女は一切感じさせなかったのだ。もしかすると、ラインハルトの力が、彼女には及ばないからかもしれないが、私は彼女が普段付き合っている人たちと私が、類似していたために親近感を持ってもらえたのではないかと思った。なにかそういう、共通するものに会った時の安心感みたいなものを、あの時のテラスで、ルフェーブル夫人の反応の中に私は感じていた。

 

 だが、それ以来、ルフェーブル夫妻とも、ヴェロとも一度も会ったことがない。私たちの結婚式にも、彼らは来なかったし、ペルチエ家では、少なくとも私のいる前では、あまりルフェーブル夫妻の話をしなくなったように思う。

 

 ルフェーブル夫妻と、フィロメナの関係は、強力な力関係であって、フィロメナにとっては唯一彼女が下の立場をとらなくてはならない相手であった。というか、それ以外の上をとれない関係は、彼女は自分の人生から全部排除したのだと私は思う。

 ルフェーブル夫妻が、暴君だったのではないようにも、この時のお茶の印象で私には思える。しかし、いかんせん、教養にしろ、お金にしろ、ルフェーブル一家とフィロメナの間にはあまりにも圧倒的な差があって、いくらフィロメナでも、その関係をひっくり返すわけにはいかなかったのであろう。

 フィロメナは、人間関係を上下でしか見ないのである。そして自分は常に上にいなくては収まらない人だ。

 そのことについて、たくさんの例を挙げることができるので、これから少しずつ書いていこうと思う。それは、ラインハルトの起源を理解するうえで、かなり重要なことであるように、私には思えるのだ。