衣谷の日記

フランス在住働くシングルマザー

ラインハルトとの16年間 ⑱母フィロメナ 2

 フィロメナは、アルジェリアで、あるフランス人窓サッシメーカーの社長の家にやとわれた。ルフェーブル社長夫妻には、男の子一人、女の子二人の3人の子供があって、彼女はその子供たちのベビーシッターとして、住み込みで働き始めた。フィロメナが17歳の時である。

 それまで、貧しいアリカンテの漁師村から、内陸の麦畑の畑作業をしに行っていた彼女が、どういういきさつでアルジェリアに行くことになったのか、詳しく聞いたことはない。「でもあの頃は」というような言葉で、皆が理解するような、そんな時代だったらしい。日本人だって、バブルがはじけたころ留学ブームが起きて、若者がなんとなく海外へ出ることがよく見られる現象になった時期があった。私も、そんな時代背景があってフランスに来たのだから、わからなくもない。当時のスペイン人にとって、17歳はほぼ大人であって、より条件のいい場所で働きたいという希望は、家族の中でも、社会的にも、通りやすいものだったのかもしれない。

 

 それと同時に、フィロメナの性格上、ほかの人は頼りにならない、私が家族を助け、よりよい生活をさせる、というほかの家族のメンバー、特に母親への侮蔑的な意思の表現があったのではないかと思う。それを、母親は、止めたかったどうかは知らないけど、止めることはきっとできなかったろうと思う。そして、なにやらよくわからない野心もあったのだと思う。学業では満たされなかった彼女の承認欲求は、アイロンがけや料理の腕自慢にとどまらず、もっと力を持つものからの承認を得るということへ向かって行ったように思う。

 そのことをうまく表現するのは難しいが、フィロメナは、やはり力、権力が好きだった。お金は力であり、お金持ちは力のあるものである。だから、フィノメナは、ルフェーブル一家の上流階級の人々の生活を、まるで自分自身がその正式なるメンバーであるかのように、自慢気に語ることが多かった。

 彼女は決して、「私はそこで、ただのベビーシッターだったんですけどね」とは言わなかった。

 

 確かに彼女は、大変なエネルギーの持ち主であり、自分から思いついたサービスを自主的に行う傾向がある。子供の面倒だけ見ればよいところを、余った布で子供たちに音楽学校の教本を入れる袋を縫ったり、ハンカチに刺繍をしてやったり、靴のシミを取ってピカピカにしたり、ということは想像に難くない。そうしたことを見て、ルフェーブルさんたちは、なんて素敵な気の利くベビーシッターだろうと喜んだに違いない。

 フィロメナが本当に言ったセリフで、私が仰天したのは、「ルフェーブル夫妻に、私が何者かであることを発見された」というセリフだ。「何者かって?」と心の中でその意味を測りかねてつぶやいたけど、声には出さなかった。ちょっと変わった、元気のいい、気の利くベビーシッターであることは、なにやら重要人物「何者か」などではないと思うのに、フィロメナは、現実離れした自己像を持っていた。

 

 彼女のその「気の利く」ところは、度を越えていて、相手の望むところ以上に、自己満足の部分を大いに兼ね備えており、時には本当に自己満足でしかないこともよくあった。そのため、それはただの大変なおせっかいに終わることも多々ある。そして、ただの気のいいおせっかいというより、それをされた側が怒り出してしまうような介入、さらには支配欲の発露となることも多い。

 その例は枚挙にいとまないが、一つ二つだけ話しておくと、例えばスペインの家族が、何かでもめ事があるたび、つまり甥っ子の一人がゲイであることを彼の父親に話したときや、その彼の同性結婚、または別の甥っ子が購入していた別荘を売りに出すか否かともめていた時、また、姪っ子の一人の次女が障害を持って生まれ、大変な育児のさなかに彼女の夫の浮気が発覚した時、などなど、フランスからわざわざ口を出しにアリカンテに行って物事を仕切ろうとして、皆から独裁者と呼ばれていた時期があった。

 または、ブランディンの誕生日に、フィロメナの持っているのと同じ旧式の柱時計をプレゼントし、それが場所を取り、見るからに全くブランディンの趣味に合わず、ブランディンが要らないと言ってけんかになったり、私にも、しょっちゅう、私が欲しくないものをありがたがらせて受け取らせようとした。彼女の手編みのセーターやマフラー、趣味の合わない赤いガラスの花瓶、古い買い物キャディ、蓋つきの大きな台所用のごみ箱、子供用のイケアのカーペットなどなど。3度目にカーペットを持ってきたときには、私はついに断った。すると彼女は、「子供たちが寒い思いをしている、あなたのうちの床は冷たいから、カーペットを敷かないから風邪をひいている」と、私に罪悪感を持たせるような発言をしたけれど、「でも要りません」ときっぱり言ったら、何事もなかったかのように、ぷいと持ち帰った。「ああ、要らなかったのね、ごめんなさいね。」とか「あったほうがいいと思うわよ。必要になったら言いなさい。」とか、そういう言葉も一つもなく、ただそそくさとカーペットを車に戻して帰っていった。拒否されたことを、なかったこととするかのように。

 

 フィロメナの自己像といえば、また、彼女は自分をとても美しいと思っている。彼女の昔の写真を見ると、確かに醜くはない。美しいと言ってもいいかもしれない。その世代の人にしては背は高いほうで、痩せてはいないけど、太ってもいない。まっすぐなきれいな脚をしている。大きな目とくっきりした眉、大きな口。少し浅黒く、骨太で、大雑把なあまり垢抜けない感じだけど、元気ではきはきとしていそうな印象を与える。

 でもフィロメナは、美人のブランディンが、自分に生き写しだと信じている。そして、ブランディンの上の娘、今は服飾の広告のモデルなどもやっているマエルが、自分からブランディンへ受け継がれた美の、後継者だと考えている。

 ラインハルトは、フィロメナのその考えを疑いもなく受け入れていたので、私が、ブランディンは父親のクロードに似ていると言った時、とても驚いていた。でもきっとそんなことは忘れているだろう。ラインハルトは何もかも忘れてごっちゃにしてしまうから。

 コリーヌのほうが、見た目は少しフィロメナに似ている。中身は似ていないけど。

 実際のフィロメナ、今や、私が出会った頃のフィロメナは、太った、二重顎のベリーショートのおばさんで、ブルドックのようにほっぺたが垂れている。細く薄くなってしまった眉毛が、不自然な形に弓型に目を囲んでいる。乏しいまつ毛に囲まれた眼は、びっくりしたように見開かれていることが多く、感情をあまり表現しない。微笑むときにはいつも唐突で、取ってつけた笑いの形に口を動かしているように見える。でも、時々、子供を相手にしているときなど、自然な笑いが目尻に浮かぶことがあるようにも見える。

 でも私には、たいてい、つっぱったような人間関係のマスクをつけたような表情であることが多い。だからと言って、そのマスクの下に、何かが隠れているわけでもないように思える。彼女という人は、それだけの人なのだと思う。

 

 私のこの書き方は、ずいぶん罪深い書き方のようだ。でもできるだけ、自分の思いに忠実に書こうとすると、こうなってしまう。

 それだけの人、と書いたけど、フィロメナについては、書くべきことはまだまだたくさんある。しばらくこのフィロメナシリーズが続くことになるかもしれない。