衣谷の日記

フランス在住働くシングルマザー

ラインハルトとの16年間 ④出会い

 出会ったきっかけは、当時私が行っていた大学の友達で、イラン人のシマに、ある展覧会に誘われたことだった。シマとは今でも仲良しである。

 私がナンテールの大学の修士課程に編入した翌々年のことである。シマと私は同じ研究室にいた。

 

 前にも書いたが、私はナンテールの大学に編入するためにパリに引っ越したその年から、二年弱、ある日本人留学生と付き合っていた。私は彼といつも一緒にいて、パリの日本人社会を中心に生活していた。

 当時、それは自分の選択であって、その気になればいつでもフランス人の社会へ飛び込めると思っていたが、とはいえ、言葉が不自由な時、現地の友達を作るのは難しい。フランス人は、フランス人同士で十分間に合っていることが多い。

 今子供たちを見ていると、若いうちはいろんな好奇心を持って、知らない国の人に自分から声をかける人も多いが、ある程度の年齢を過ぎると、なんとなく垣根ができてしまうものだなと思う。

 もちろん、大人でも好奇心を持って近づいてくる人はいるし、特に日本人には興味を持つ人も多いが、そういう人は、明るく陽気で、社交的ではあるが、深い会話は求めていないことが多い。私が面白いと思うような会話は、私の当時のフランス語力では到底不可能だった。そのうえ、表面的な楽しい社交的な会話は、私はそれほど得意でもないし、興味もない。

 自分をわかってもらうことができず、ずいぶんとフラストレーションを感じていた。

 

 それでも、大学では時間をかけて作ったレポートを発表したりする機会があるから、その場で気の利いたことが言えなくても、相手の言ったことがわからなくても、自己表現がほんの少しでもできる。授業中に発表した中身を見て、私に興味を持ってくれるクラスメートが、少しずつ現れたのがこのころだった。

 シマもそのうちの一人で、うまく会話はできなかったけど、私のことを面白いと思ってくれたようで、ときどき私に話しかけてくれていた。

 そういうフランス人やそのほかの国の留学生と、多少の交流はあったけれど、特にフランス人とは、親しく対等な関係を持つことはできないでいた。シマは、母性本能の強い女性で、たぶん、どうしても孤立してしまう私をかわいそうに思っていたと思う。たまたま、彼女の友達のグループが、フジタなどの絵の展覧会に行く計画があったとき、私に声をかけてくれた。

 日本人だから、日本人画家の展覧会を見たいだろうというのは、なんか変な気がする。日本人だから、日本のことにしか興味がないと思われているみたいでいやだったけど、フランス人学生の友達を作るチャンスだし、シマとももっと仲良くなりたかったので、承諾した。

 

 その友達グループの中に、ラインハルトがいたのである。

 そのほかには、シマの彼氏のアンリ、後に若手研究者向けの学会賞を取った二人組で、当時はまだ学生だったブノアとセバスチャン、その友達のアルチュール、ロンドンの大学に留学していた日本人の恵美さん(アルチュールの研究室の教授の知り合い)、ドイツ人の名前を忘れてしまったもう一人の留学生がいた。ぶらぶらと退屈な展覧会を見た後、どこかで一杯やろうということになり、近くのカフェに入った。カフェへ移動するとき、私はその名前を忘れてしまったドイツ人の学生さんと、他愛ない会話をしたのを覚えている。私にとっては、最も話しやすい相手だった。フランス人のインテリの若者の言うことは、私にはほとんど何も理解できなかったから。

 その会話に、ラインハルトが割り込んできたのを覚えている。「僕も柔道をやってたことがあるよ。でも、柔道は向かなくて、合気道に変えたんだ。合気道は素晴らしい。」私は、ドイツ人の彼との会話に落ち着いていたかったから、ラインハルトに来てほしくなかったが、悪気はないのだと思い我慢した。

 「合気道?」

 私は当時、フランスでは、柔道を始め日本の柔術が、習い事としてかなり人気があることを知らなかった。柔道と言えば、高校生の時男子は教育課程の義務でやらねばならず、非常に嫌われていた種目であるというくらいの認識しかない。よく知らないから、あんまりかっこよくもないし、ただの伝統的なスポーツだと思っていた。合気道に至っては、あまりにもどんなものか知らず、戦争中に女性に身を守るために教えられたという話くらいしか知らなかった。だから私はそれをそのまま言った。「合気道って、女性がやるものだと思ってたわ。」

 ラインハルトは笑って、フランス人は合気道が日本でどんなものか知らずに、やってたなんて言うから、日本人に、「この人おかしいんじゃない?」って顔で見られる、と自虐的に言った。この時言ったんだったか、その後何度も人前で、最初に出会った時の話を聞かれるたびに彼がした話の中で、だんだんにそうなったのか忘れたけど、ともかく彼の反応は、自虐的ではあるが、同時にある種の傲慢さをたたえていた。そんなことを言われたってなんでもない、無知なフランスごと馬鹿にしたような態度だった。そうすることで、自分だけ高みに逃れるような、そんな言い方。そして、私のことも、まるで、そういう文化の違いを乗り越えていない異国の(未開の地の)人間であるがゆえに、変なの、と眉をひそめたかのように感じさせた。私はラインハルトが合気道をやっていたことを変なこととは思わなかったし、自分の未知の世界に感心こそすれ、馬鹿にしたりはしなかった。だからそこに妙な違和感を微妙に感じたものの、私はそれを、「文化の違い」「言葉の壁」による感じ方の違いのせいにして、無視してしまった。

 それは、その先長い間繰り返されることになる誤解のメカニズムの始まりだった。

 

 カフェに到着して、この若者グループは席についた。シマは、大学での優秀な研究者の顔と少し違って、女らしい服装をして、恋人のアンリの金髪を撫でて私の正面、テーブルの右端に座っている。シマだけが頼りだと思っていたのに、そんなふうに、シマは私の見慣れない顔をしていた。

 最初に展覧会で会った時、みんな自分の名前を言って自己紹介してビズをしたが、ラインハルトという名前についての話を、カフェでもう一度したと記憶している。ラインハルトは、私に、よく自分の名前が憶えられたね、と言った。難しいでしょ?と。日本人にとっては、ブノワもラインハルトも、難しさでは大して変わらない。アルチュールのほうが聞き取れないぐらいである。

 ラインハルトはドイツ系の名前である。しかし、ラインハルト自身はドイツ系ではない。

 その後、私が何度も聞くことになるラインハルトによる自分の名前の説明は、こうだった。ラインハルトの父親は、ブルターニュ地方の出身で、母親はスペイン出身であり、ドイツとは縁もゆかりもない。フランス語のよくわからない母が、どこかで聞き覚えたこのドイツ系の名前の音が気に入り、一人息子につけたのだそうだ。ドイツ語では、最後がDが一般的だが、ラインハルトの綴りはTになっている。フランス語読みすると、ラナールとでもなりそうなところを、誰かがそんなふうに発音すると、必ず「ラインハルトと発音してください」と訂正させた。そして、ドイツの名前だけど、どこの出身なのかと聞かれると、「僕はあなたたちと同じフランス人ですよ」と言った。「僕の母はスペインからの移民で、変なフランス語を話しますけどね。」と付け加えることもあった。

 「僕はあなたたちと同じフランス人ですよ」というセリフは、ラインハルトによると、アラブ系の移民二世が、純粋白人フランス人から人差別的なことを言われたときの返答だそうで、それを言うと、出身を聞いてしまった相手がびっくりして罪悪感を感じるから、それが面白いということらしかった。そのように彼がはっきりと説明したことはないのだけど、彼の言った断片的な説明から、恐らくそういうことだろうと思う。

 でも、その面白さは私には全然わからない。何が面白いんだろう?とずっと思っていた。フランス現代史をわかっていれば面白いのかな?と思っていた。だが、ラインハルトの場合、それは単に相手が罪悪感を抱き、心が痛むから面白いのだと思う。そのことを理解したのは、つい最近のことである。なので、それは私が考えていたような文化的な違いや言葉の問題などとは関係なく、フランス人だってそんなことは嫌いな、質の悪い子供がするいたずらのようなものである。それをほぼ必ず、新しい人に出会って名前を言うたびに繰り返した。

 この日、そこまで話したかどうかは覚えていない。だけれど、彼が自分の名前についていろいろと説明した時、何か理解しがたいものが背後にあることを私はぼんやりと感じていたのは確かである。

 

 あとから思うと、その理解しがたいものを、何か私がまだ知らない素晴らしいものであるように私は想像した。それを理解するために、私は彼と付き合うことをその先も拒まなかった。

 

 話が脱線してしまったが、カフェでの出来事に戻ると、恵美さんと私は、フランス語がいまいちなので、時々返事を求められる時以外、ただ聞き役で座っていた。と言っても、グループのほとんどが聞き役だった。しゃべっていたのは、ラインハルトだった。外国人が半分ばかり混ざったグループは、今思えば、フランス人のインテリの若者たちには居心地の悪いものだったのだと思う。でも、そんなことにはお構いなく、リラックスしていたのは、ラインハルト一人だった。

 私はそれをずっと、ラインハルトが自分自身もハーフだからだと思っていた。外国人の母親に対する敬意から、彼の中ではその延長としてのそのほかの外国人がいるのだろう、言葉の不自由な人を相手にすることにも慣れているし、外国人への垣根が外国人にとってつらいものであることも分かっていて、自分はそれを取り払って生きているのだろうと信じた。それは、とても素晴らしいオープンな性格と見えた。

 でもそれは、違うのかもしれないと最近は思う。それはむしろ、彼のPN的な能力ではないかとさえ思うのである。これについては、いつかもっと詳しく書くと思う。でもその垣根のなさに、私は最も惹かれたのであるから、私はまさしく彼のPN的な部分を自分のこれまでの経験と生きてきた世界から勝手に推測して誤解し、それを良きものだと思い込んでしまったのだと思う。

 

 ラインハルトは、私のテーブル向かい側の中央に座っていて、大柄な体を前に乗り出すようにして、自分の理論を皆に披露していた。時々、ほかのメンバーが間違いを指摘したり、自分の意見を言ったりしたが、それを大きな声で正し直し、ほかのメンバーがやや辟易としていたように、私には思える。反対の端に座っていたブノアが、窓のほうに顔を向けて、ずっとよそ見をしていて、時々茶化したり、話題を変えようとしたのを覚えている。それでも、ラインハルト以外のメンバーは、行儀良く彼の話を聞いて、ほんの少しの異議を唱えただけで諦め、ひとしきり話したら、深追いせずに適当に解散することを望んでいたようだった。

 それでも、ラインハルトは生き生きとしており、だれよりも頭の回転が速く、エネルギーに満ちているようだった。押しつけがましい感じは、確かに少し見受けられたけれど、ある意味無邪気にも、天真爛漫にも見えた。

 

 違和感はあるものの、別に悪い人ではない、それが、私がラインハルトを見た最初の印象であった。