衣谷の日記

フランス在住働くシングルマザー

ラインハルトとの16年間 ⑳ゴッドマザー、ヴェロニック

 ラインハルトのゴッドマザーが、ルフェーブル家次女のヴェロニックだった。ラインハルト以外の子たちは、ルフェーブル家の人をゴッドマザー、ゴッドファーザーとしていない。今となっては、ラインハルトが唯一のルフェーブル家との公式な関係を持っていると言ってもいい。

 ヴェロと呼ばれていたその女性は、ラインハルトが生まれたとき、14歳だった。フランスのカトリックの家庭では、若いティーンエイジャーに、知り合いの赤ちゃんのゴッドファーザーやゴッドマザーの役割を充てるという習慣がある。そのようにして、ティーンエイジャーに責任を与えるという教育的な目的もあるし、親の世代より少し若い世代に名付け親になってもらうことで、その子供にとっては、親が年を取った後も頼れる相手ができる。実際には、そんな年齢の時に、親に言われて知り合いの赤ちゃんの名付け親になっても、なんとなく居心地の悪い思いをする若者のほうが多いのではないかと思うが。責任を果たしきれない部分も多いと思うし、自分の生活でいっぱいいっぱいの10代20代の時に、小さな子供に関心を寄せるのは、一般的にはあまり簡単なことではないだろう。私だったらきっとできない。

 ヴェロの場合も例にもれず、ラインハルトの面倒をよく見たわけではなかった。そもそも、ヴェロはエクスに住んでいて、ラインハルトが生まれて間もなく、ペルチエ家はアルザス地方に引っ越し、その後ブロワ、サルトルヴィルと転々としたのだから、会うことだってほとんどなかっただろう。

 それでも、礼儀正しく、時々電話で話したり、旅行先からハガキが届いたりという間柄で、誕生日にはプレゼントが送られてくるという具合だった。

 

 私がペルチエ家に出入りするようになって、ラインハルトは、そのころ数年放っておいたゴッドマザーとの関係を掘り起こすことにした。私を連れて、ヴェロに会いに、マルセイユ郊外の彼女の家に泊りがけで行くことになったのである。

 

 私は、どこかに行くのは好きだった。新しい街を知ること、知らない人の生活を知ることは楽しい。少しおっくうなのは、その人たちと食事をしたりお茶を飲んだりする間、話をして付き合わなくてはならないことだ。日本で日本人相手だったら、気詰まりに感じなかったのではないかと思うけど、やはり相変わらず、文化と言葉の壁は大きかった。

 それでも、いつもその高すぎるハードルに向かっても、私は挑戦しようとしていた。それは私にとって、学び成長するチャンスと思っていた。実際そうだったこともあったし、特にこの時は、そうだったんじゃないかと思う。

 

 ヴェロは、上の二人と違って、大学に行かなかった。高卒で働き始めたらしいが、何をしていたのか私は知らない。よい家庭の子が、そのように低学歴であまり幸せそうでないという例を、このくらいの世代で時々見かける気がする。もちろん、自分で選んだ道で満足し幸福なら、学歴なんて関係ないのだけど、たぶんそういう人たちは、親や家庭に反発して学業をやめてしまい、自分の自由意思でそうしたのだと思っているけど、実は逆に、そういう親や家庭があったからこそ、わざわざそうしてしまったわけで、自由意志ではなかったのだろうと思う。だから、押し殺された後悔の念と、親のほうが正しかったのに自分が言うことを聞かなかったという罪悪感のようなものをなんとなく重ね合わせて持っているような気がする。

 ヴェロも、ちょっとそんな感じの人だった。

 彼女は金髪で長身で、どちらかというとやせていた。ベースはきれいな人なんだと思う。私たちが着いた日は、彼女はスリムジーンズにTシャツ、袖なしの紺色のダウンを着て、直毛の金髪を無造作に後ろに一つにくくっていた。化粧っ気もなく、大股で歩き、疲れた様子だった。とてつもなく忙しいときに、自分のゴッドチャイルドがフィアンセを連れてくる。しかたないから喜んで迎え入れるけど、なんとなくバタバタしている、という感じ。

 最寄りの駅に着いた私たちを迎えに来たのは、ヴェロ本人ではなく、彼女の夫だった。名前を何と言ったか忘れてしまったが、建設業の会社をやっている人だ。日本で言う工務店の社長だ。社長と言っても、社員が数人いるだけの小規模な会社で、迎えに来た彼の車は、業務用の、後ろにいろいろ載せられる大型のバンだった。

 埃っぽいような、ガサガサしたものがいろいろ後ろに乗っているような、そういう記憶がある。あまり乗り心地のよくないそのバンの後ろに、私が乗り、助手席にラインハルトが乗って、渋滞した道を30分以上かかって彼らのうちに着いた。その間、運転席のヴェロの夫とラインハルトは世間話をしていて、私はただ聞いていた。

 ヴェロの夫は、渋滞に時々悪態をつきながら、仕事上の問題をなにやらラインハルトに話していた。彼は知的階層に皮肉を言うような、嫉妬と軽蔑を混ぜたような口の利き方をした。工事業者は、その仕事の性格上、現実のこまごました問題を実際に解決する必要がある。論理的に解決すれば解決だと思っている知的階層の人であると彼がとらえている、大学出のラインハルトや遠い国からの留学生の私など、彼の世界には全くそぐわなかった。

 あまりにこやかでもなく、私は気持ちよく迎え入れられたという印象もなかったが、ラインハルトは平気だった。私に、みんな喜んでいると確約した。

 

 私たちがうちに着くと、ヴェロはうちにいた。がらんとした一階の、玄関を入ってそのままそこが居間となっている空間の右端に、吹き抜けを上る階段があり、そこから、シーツや何かの洗濯物を抱えたヴェロがせわしなく降りてきて、私たちを迎えた。

 「今、ギャバンが帰ってきてるの。急に言うもんだから。」という。ギャバンは、彼らの二人の息子のうちの一人で、当時寄宿舎のある高校に入っていた。その子が、帰らないはずの週末に、急に帰ってきたらしかった。

 そういう話は、私にはとても居心地が悪かった。そんな忙しいときに申し訳ないと思わされた。でもラインハルトは相変わらず、みんな親切で喜んでいると言っていた。

 

 その日の食事は、庭に出したテーブルで食べた。安いプラスチック製の折り畳みの大きなテーブルだった。フィロメナの家のような、気取ったアペリティフや前菜という儀式はなく、すでにテーブルについていた家族の友達だったか、近所の人だったか、工務店の人だったかは、もうビールを飲んでいる最中で、ヴェロの夫が、缶詰のたら肝を出してきた。そして、家事を終え切らないで動き回るヴェロに向かって叫ぶ。

 「おーい、ヴェロ、いい加減してこっちにこいよ。ビールでいいだろ?たら肝を開けるぜ。ヴェロも食べるかい?」

 横からラインハルトが、私に、「知ってる?」と聞く。知らないというと、「おいしいよ。パンに載せて食べるんだ」と説明した。テーブルの向こうはしにいるヴェロの夫が顔をあげてこちらを見て、

 「レモン汁と、あらびきコショウをたっぷりかけるといいんだぜ。」とラインハルトに言った。私に直接話しかける勇気はないようだった。そして、その通りにレモンをぎゅっと絞って、コショウを曳いた。ヴェロがやっとテーブルにやってきて、「いやぁよ。私はそれ今食べる権利がないの。ダイエットしてるんだもの。今朝からダイエットメニューで頑張ってるんだから。」と言った。「油はしっかり切ってやるよ。なんだよ、これくらい食べたってどうもならないさ。」それでもヴェロは、最近はすごく痩せにくくなったんだから、と食べなかった。

 ヴェロは30代のフランス人女性にしては細いほうだった。ダイエットをいろいろ試したりする人なんだな、と思った。招待客があるときに、ダイエットを中断しないのも、なんだか不思議に思えた。

 

 その雰囲気は、地に足の着いた庶民的なものに見えるようだった。家の中も、折り畳みのプラスチック製の大きなテーブルみたいに、実用的で何の飾り気もなく、物が少なく、その少ないものが雑多に散らかっていた。おそらく、夫の工務店が建てた家で、簡単にいろんなものが済ませてあった。

 ヴェロはきっと、自分の家族のような大金持ちの生活に反発して、この普通の工事屋さんと結婚したのだと思った。そして、自分も庶民の側の生活をしようとしているのだ。

 

 ヴェロとラインハルトは、いろいろと冗談を言い合ったり、ヴェロにとっては昔の自分のベビーシッターであるフィロメナや、年が比較的近いブランディンやコリーヌの噂話を楽しそうにしていた。

 

 ヴェロをゴッドマザーにしてくれとルフェーブル夫妻に頼んだのは、フィロメナである。そうやって、なんとかよい家庭との絆を強いものにしようという意図があった。それを、全くなんのためらいもなく申し出てしゃあしゃあとしているのが、フィロメナである。そういうことを、人は断らないのも分かっている。

 ついでに言うと、ラインハルトはマイテという、フィロメナが以前ラインハルトが中学生の時ベビーシッターをやっていた女の子のゴッドファーザーである。マイテの両親は銀行家で、しっかりしたお金持ちの家庭である。フィロメナは、上の子セヴリーヌのベビーシッターをしていたのだが、二人目のマイテが生まれた時、すかさずラインハルトをゴッドファーザーにと提案したらしい。その時、フィロメナはラインハルトに、こういう金持ちの大人と親しくなるようにと諭したらしい。

 

 フィロメナの狙い通り、確かにラインハルトは、ルフェーブル家にこんなふうに招かれる(というか押しかけることのできる)権利を持っていたし、マイテの家族とも、ただの元ベビーシッターの息子ではありえないような、時々お互いをうちに呼んで食事をするような「友人」関係を持っていた。

 とはいえ、それらがうわべのものに終始し、結局は実利も、本当の友情も生まなかったことは、現在の状況を見ればわかる。そういううわべを保つということに、多大なエネルギーを費やしているように私には思えたけど、彼らペルチエ家の、特にフィロメナとラインハルトには、それはごく当たり前のことで、彼らはそのエネルギーをそれほど苦心して投入しているようには見えなかった。

 でも、もしよく分かり合えない知り合いを年に一二度招待したりされたりする時間とエネルギーがあれば、本来の私なら、一回小旅行に行くとか、趣味を極めるためのスタージュに行くとかいう方を絶対に好んだはずだった。でも、私はそれに気づかなかった。そしてそれを、フランス文化なのだと思い、それを学ぼうとしたし、また私一人の都合ではなく、夫の生活を尊重しなくてはならないと思った。

 それでも、私はもう少しわがままになり、自分のやりたいこと、自分の人生、自分の時間というものについて、もっとしっかり向き合って考えるべきだった。もし考えてそれを話してみたところで、ラインハルトと一緒にいるのをやめない限り、おそらく何も変わらなかったのだと思うけど、でも考えなかったのは、無責任だったと思う。

 

 ただ、私がそういうことを全く考えなかったのは、催眠術にでもかかっていたかのように感じることがある。