衣谷の日記

フランス在住働くシングルマザー

ラインハルトとの16年間 ③ひとつ前の恋愛

 この話は、二年前のブログにも書いているので、多少繰り返しになる部分もあると思うが、今回のほうが少し具体的に、状況がよくわかるような書き方をしたいと思う。

 

 フランス人元夫と出会う直前、私は自分の人生の中でもトップ5に入ると思っている出来事があった。それが、元夫に出会うひとつ前の恋愛である。

 

 こうしたことを書くのは、元夫に出会った時の私の状態をよく理解するためである。私自身の、もともとあった性格傾向も、自己愛性人格障害者に翻弄されることになる要因であったかもしれないけれど、やはり私がそれに巻き込まれることになった大きな原因の一つは、私が、私にとっては一生に一度と思えた大恋愛が終わった直後に彼に出会ったという、タイミングの問題もあったのだと思う。

 

 私がここにこんなこと書いて公表するのは、最初に書いたように、私自身のセラピーとしての役割をもちろん期待してのことではあるけれど、もしかすると、私と同じような経験をして苦しんだ人の役に立つかもしれないし、こういう事例について研究している心理学者や精神科医の人たちの研究材料になるかもしれないと思うからでもある。

 

 私がマニピュレーターの標的となった理由には、その恋愛の終わりと、言語能力の不十分さや知識の不足、文化的な違いといったフランス社会での私の脆弱さの両方があったに違いないと思っている。そうした要因は、生来の性格傾向に輪をかけて、私を操縦の簡単な獲物にならしめていたと思う。

 外国人としての立場の弱さについては、別の機会に述べたいと思う。今回は、私が当時どのような恋愛人生を歩んでいたかついて、話したい。

 

 語学習得のために半年過ごした地方都市を離れて、パリ郊外の大学院への編入を受け入れられた私は、こちらでの新学期、9月にパリに引っ越した。それまでいた居心地のよい地方学生寮を出て、自力でアパートを探さなくてはならない。国内に保証人のいない外国人学生に貸してくれるところは皆無で、私は日系の新聞に出ている個人貸しのアパート物件の広告を頼りに、アパート探しをしていた。

 口約束で決まったはずのところが、後になって断られたり、どう見ても人に貸せるような代物ではないアパートを紹介されたり、それはそれは嫌な思いの連続だった。そのころ、私がよく一緒にいた日本人留学生の友達の一人と、私は恋に落ちた。

 秋のパリという舞台と、同時期にパリ移住をする緊張感を共有した仲間であり、パリに魅了されるのと同時に、私たちはお互いに惹かれるようになった。いつでも話すことが無限にあり、話題について何も考える必要がないほど興味が一致し、まるで双子のようだった。自分と相手の間に境界線がないような、フュージョンした関係だった。彼と一緒にいることは、あまりにも自然で、一緒にいるほうが楽だった。彼の目に映る自分を愛したし、彼も、私の目に映る自分を愛していたと思う。道行く人がほほ笑むほど、私たちは子供のように無邪気に、素直に、一緒にいることを喜び、その喜びは傍目にも明らかだった。

 問題は、私と同じくらい、彼も現実に対して無力な人間だった。大人として自立しきれていない二人だった。お金も将来の計画ない。身についたスキルもない。私は、自分は誰か、自分にまともな生活ができる物質的な支えを提供できる人間を必要としていると考えていた。彼に、そのようになってくれることを求めた。今思えば、私自身も、そうならなければならなかったのに、それがわからなかった。私は彼を責めなかったし、彼に変わってほしいとも思わかなった。ただ、彼とでは、私たちは一生、ここにとどまらなくてはならないと感じていた。かなわない夢、書き終わらない論文やシナリオ、と小さな楽しいこまごましたこと、カフェへ行ったり、オムレツを作ったりする、に満たされた日常に、である。そして、それでこれからの長い一生を、食いついないで行くことは、不可能であると感じていた。

 そして私は、子供を持たない人生というのは、考えられなかった。

 

 そしてそれだけではなく、私にはまだほぼ将来を約束したような「彼氏」が日本にいたし、彼のほうは渡仏前に緊急で籍を入れた妻が日本にいた。私は今でも、私が彼と付き合っていた1年半の間のことを、不倫とか浮気というふうに思えないでいる。ただ無責任で、子供っぽく、まるで夢の中で起きた出来事のように感じる。

 一年半たった時、私は夢にピリオドを打つことを決めた。ここからは、何も生まれない。彼のほうは、当時はその妻と別れることを決心できなかったし、最初からするつもりもなかったのかもしれない。

 別にそれでも私は構わない。私には、あの時の体験は、それまでの私の冷めた恋愛観を変える力があった。自分がその時一番好きな人と、好きなだけ愛し合った。楽しかった。完全に幸せだった。続かなくても、後悔がほとんどない。

 大好きな人と恋をすることは素晴らしいことで、生きてるって感じがする。ただ、恋とは、長く続かない、とも確信した。それを、深い友情・家族愛に変え、人生を共にする伴侶とすべきであるところを、私はそのようには考えなかった。恋は恋、家族愛は家族愛、家族となるべき人は、別の人なのだろうと考えた。たまたま、その時の彼は、家族となるにはタイミングが合わなかっただけなのかもしれないのに、私は、恋人と夫となるべき人には、根本的に質的な違いがあるのだと思うようになった。

 私は、恋は十分にしたと思った。実際、十分だった。私は一生分の恋をした。すばらしかった。これからは、夫となり私の子供たちの父となるべき人を、見つけようと思った。私はその人に恋をしなくてもいい。

 もう一度傷つくのが怖い、というような感情はなかったと思う。ただ、家族が欲しかった。私は、早く家族を持ちたい、と思うようになっていた。

 

 そして、別れたことへの後悔はないのだけど、それでも別れた直後は本当につらかった。前のブログにも書いたけれど、私は自分が自殺をしないように、マリカちゃんと同居を始めたほどだった。

 心が痛くて痛くて、泣き叫びたかった。馬鹿馬鹿しいと思う反面、手首を切ったり、窓から飛び降りたりしたかった。彼と最後に会ったのが3月で、3月のまだ少し寒いヴォージュ広場を、夕暮れに何周も手をつないで歩いた。もうその日が最後だと、二人ともわかっていた。

 そしてその年の5月、私は初めてのちに私の元夫となるラインハルトに出会ったのである。