衣谷の日記

フランス在住働くシングルマザー

ラインハルトとの16年間 ⑦ レポートの手伝い

 私は、前にも書いたとおり、自分の自殺防止、とまでは行かなくて、引きこもったり落ち込んだりしないために、アパートをシェアしていた。そのくらい、失恋の痛手は大きく、当時それに対抗できるだけの私の生きがいは、勉強に邁進することだった。わざわざ留学までしたのに、二年近く放っておいたフランス人学生との交流や、研究に没頭すると決心した。

 マリカちゃんはすばらしいルームメイトだった。服飾の勉強をしていて、パリのとある専門学校へ通っていた。私よりも6つも年下だったが、自分の意思がはっきりとした、でも人には優しい子で、私たちはよく一緒に夕飯を作って、みっしり人生の話をした。それでも、私は失恋のことは言わなかった。言ってしまったら、忘れられないから。マリカちゃんも、私が今付き合っている誰も、私の恋人のことは知らない。そのほうがよかった。まるで存在しないかのように、自分の意識から追い出すことができたから。

 

 それがいつか癒えることは分かっていたけど、私はそういう大きな穴を、心に抱えていた。そのころはまだ、その彼の夢もたくさん見た。意識に登らないにように工夫はしたものの、私の無意識は、まだ覚えていた。

 

 ラインハルトと出会ったとき、私の恋人の席が空席になっていること、そこにある痛みを、彼は感じ取っていたかもしれないと思う。そういう感じ方でないにしろ、私の中に実際にあった飢えを感じたかもしれないし、それはその恋しい人に向けられていたのだけど、そんな事情を知らなければ、私が恋愛を求めていると感じ取られてもおかしくはなかったと思う。

 

 学食で再開した後、間もなく、ラインハルトは、マリカちゃんと私のアパートに、私のレポートを手伝いに来た。一回きりだったか、二回くらいは来たか、忘れてしまった。でも、確か彼が私のレポートをそんなふうに手伝ったのは、その年のそのレポートだけだったと思う。

 私は、DL先生の同じ講義を取っていたイラムというアラブ系の女の子に、いつもノートを借りていた。彼女は、社会人になってから学生に後戻りした私より7つ8つ若く、私から見るとまだ少女のようだった。日本のヴィジュアル系ロックバンドの大ファンで、それが高じて日本語まで勉強している子だった。そして、簡単な日本語の会話ができた。もちろん、勉強のことを話すには私とでもフランス語でないとダメだったけど、私が日本人だというだけで、うれしそうに顔を赤らめて私の勉強を手伝ってくれた。本当に、ありがたかった。

 そして、彼女はDL先生のことも大好きだった。「先生の言うことはあまりにも本当なんですもの!素晴らしいわ。」

 だから今思えば、ラインハルト以外にもDL氏の理論で気の合う友だちは作れたに違いなかったが、今でもそうだが、人にものを頼むのが苦手で、自分から手伝う手伝うとうるさく言ってくるラインハルトのような人の言いなりになる方が楽だった。

 そういうところが、私の性格上の問題であることを、最近しみじみ実感する。

 実をいうと、イラムのノートだけで、私はDLの授業のレポートは、書けたかもしれなかった。自分でも確かに書いてみていたのだ。

 だが、ラインハルトは、私の下書きを読んで、何も言わず、ただ一から全部書き直した。「お題がこれなんでしょう?だったら、こういうふうに攻めるべきだ。DLの考えならこうだ。」と。

 私の書きたかったこととは違うと思ったが、フランス語のレポートとしてまとまっていて、文法や構成があるべき格好になっているし、内容についてとやかく言うフランス語力が私にないから、私はそれを丸ごと受け入れてしまった。

 結果、一応単位は取れた。

 

 それで、フランス人に手伝ってもらうというのも大変だな、と私は思った。自分の思い通りにならない。それは私が自分の思いを伝える言語能力がないからでもあるし、物事をあまりはっきり言わずとも日本人同士なら推し量ってもらえるところを、よほどはっきり言ったつもりでも、相手が単に自分の意見をもう一度繰り返しただけで、こちらの主張を受け入れてもらえないという気持ちになってしまったりという、日本人的なコミュニケーションの型からなかなか抜け出せないのも、もう一つの大きな原因だった。 

 それを強く自覚はしていたものの、その二つ目の原因を乗り越えるのに、私は20年以上かかったと思っている。フランス語は理解できるし、言いたいことはしゃべれるようになってからも、コミュニケーションの仕方の根本的な違いは、いつも私のフランス人との交流において、大きな障壁になった。それは、私自身の問題もあったとは思うが、ラインハルトと別れてからの、私のフランス人との関係の変化は、自分でも非常に速かったと思っている。あっという間に、私はフランス人とでも、自分でいられるようになった。というか、新しい自分を発見した。20年かけてできなかったことが、ここ3~4年で激変した。それは、ラインハルトの不在が、大きくかかわっていると思う。

 でもこの話は、また別の機会に少しずつ書くことになると思う。