衣谷の日記

フランス在住働くシングルマザー

ラインハルトとの16年間 ⑬奇妙な告白

 サッカー観戦の後、ほかにも会った日があったかどうか、あまり覚えていない。それでも、私はラインハルトがどんな友達を持っているか、大体どんな生活をしているか、見知っていた。私と同じ国立大学にいたのだから、彼の友達たちも含め、社会階層とか文化・知識的な部分でも、自分と同じような家族の出であるだろうと想像された。そして、彼の友達たちが、彼のことを、少しうざいところがあるけど、「おもしろい、サービス精神の旺盛な、オープンで誰とでも仲良くなれる、フェミニストで女性に敬意を持っているいい奴」と考えていることも、私は見て取っていた。

 それでも、彼が望んでいるらしいような関係は、私にはとても我慢ならないと思っていた。

 

 それなのに、私は全く妙なことをしたのだ。

 

 ある夏の日、ラインハルトのうちに誘われた。13区の小さなステュディオだった。私たちはたいてい13区あたりで会っていたから、近くにいたのだ。確か、何かを取りに行くとか、何かを見せるとかいう口実があり、ちょっと寄ったついでに彼がお茶を出してくれた、そういうシチュエーションだった。

 

 その日のことを思い出し、書こうとすると、なぜそんなことになったのか不思議に思うと同時に、また自分の不甲斐なさがそのあと長く続く不幸の始まりだったと思うと、情けない思いがする。今の自分にできる限り、そうなった理由も深堀して書いてみたいと思う。

 

 そんなふうに、近くにいたからついでに、という軽い誘いではあったけど、私自身は、あまり彼のうちに寄りたくはなかった。寄れば、何かあるとわかっていたからである。

 寄りたくないから、「今日はいいよ。また今度会うときに持ってきて。」というようなことを言ったのだけど、ラインハルトは明るくそしてしつこく、「でもすぐそこなんだ。寄っていけばいいよ。」と何度も言った。実際には、全く同じフレーズではなく、「そこを曲がったとこさ」「そうすればぼくんちがどこかわかるし。」「今度っていつになるかわからないから」などのバリエーションがあったけれど、私の、あなたの部屋には行きたくない、という意思は、汲み取られていなかった。

 

 何かの交渉、何かの話し合いの場合、通常そこに二つのロジックがあって、それが一つのロジックにまとめられるよう話し合う、というのが、当時私の知っていたただ一つの方法だった。だが、ラインハルトの交渉は、そうではない。それを、私は全く理解していなかった。それを理解したのは、ここ1か月ほどのことである。

 ラインハルトの方法は、相手の意向を聞くことなく、同じことを繰り返すことだ。相手の抵抗の言葉に対して、元気よく、「でも、・・・しようよ」と言い続ける。これは、とても単純だけど、案外相手を無理やり従わせるには効果のある手である。まだロジックをうまく使いこなせない小さい子どもたちは、それをよく使うと思う。最近、仕事の場面でもそのシチュエーションにしょっちゅう出会うことに気づいた。

 それは力関係だ。征服することを目的とした同じ意味のフレーズの繰り返しを行う支配者と、それに根負けして屈服する服従者の関係。

 フランスだけではないかもしれないが、今フランスで観察していて、親子間で、よく見られる気がする。

 

 その時彼の部屋に行った最初の目的が何だったか、忘れてしまった。たぶん、それは口実に過ぎなかったんだろう。

 一つだけある小さな窓にくっつけて、小さなテーブルが置いてあった。窓の正面に向かっておかれた椅子にラインハルトが座って、私はその右側、窓の横に座っていた。

 ラインハルトの部屋は、彼の親の知り合いが持っているものだった。入って1mほどの廊下とも呼べない廊下があり、その先が部屋だった。ワンルームで、18㎡くらいはある。パリでは狭いほうではない。安物の板張りの床、殺風景な白い天井、入ってすぐの左の壁にベッドがあり、右に小さな窓、窓の前に一人用のテーブル、右の奥に小さな収納があって、そこにこの時お茶を出してくれた食器類があった。そこが、キッチンのようなもので、小さいな電気調理器と電子レンジ、冷蔵庫、洗濯機があった。全部むき出しで、四角い部屋の隅を占領している。入って右手の壁に、アルミ製の小さい電話ボックスみたいなシャワー室が置いてある。狭いシャワー室から濡れた体で出てくると、そこはもう部屋のど真ん中になる。

 こういうシャワー室は、私がパリに移り住むときに内見したアパートの一つにあった。あまりのことに、私は即答でその物件を断った。でも、安い物件では、そういうものは結構あるのだろうと思う。

 そのさらに右、窓のあるファサード壁との間の角のところから、5~6段、狭い階段がついていて、その上に狭いトイレがあった。ドアは、メインの部屋に向いている。トイレの天井は低く、腰をかがめないと入れなかった。

 すべてが非常に安普請だったが、一応きれいに片付いていた。ものがちゃんと整理整頓されていて、不必要なものはなかったし、床も清潔だった。

 

 トイレへ行く階段のところに、大きな布袋があって通れないほどで、ラインハルトはそれを、洗濯ものだと言った。洗濯は母親がしてくれるからためてあると言っていた。食事は、母親がくれた電子レンジ調理のレシピ本を見て作るといった。

 私が感心するようなことは何もなかった。

 

 いつもの通り、楽しい友人同士の話をしようとしたけど、ラインハルトは黙りがちで、まるで疲れているか、怒っているかのようにも見えた。私はさっさと帰りたかったが、その時、ラインハルトが、「もう分っていると思うけど」と言い出した。

 告白に、「好きだ」とか「愛している」という愛の言葉はなかった。それを直接的に正直に言ってくれるから告白なんだと思うけど、それのない付き合い始めも、それまでに一度経験していたから、そういう人もいるよなと思った。その前の付き合いは、うまく行かなったけど。

 その時、ラインハルトは、自分はりんと付き合いたいと思っている、でも条件がある、自分はカトリックだから、付き合うということは結婚するということで、結婚するということは、一生涯添い遂げるということだ、と言った。ゆっくりと、不機嫌なような調子で、まるで嫌なことをさせられているみたいだった。私はカトリックではないが、結婚とはそういうものだと思っているので、そう言った。でも、あなたと付き合うかどうかは…と言いかけたが、ラインハルトは窓のほうをただまっすぐに見ていて、私のほうはちっとも見なかった。私は、恥ずかしいのかと思ったが、きっと的外れな解釈だったに違いない。どちらかというと、事務手続きをしているようだった。

 彼は眠いかのように眼鏡をはずして目をこすっていた。近眼の眼鏡越しに見る目よりも大きく、太い黒縁のいつものメガネがないと、少し違って見えた。

 この時はまだ知らなかったが、彼の父親クロードは、かなりの美男子である。ラインハルトの顔は、母親譲りの左右不対称な短い鼻が上を向いていて、全体でみるとちぐはぐな印象を受けたけれど、目の形は美しかった。

 窓の外の光が目に映って輝いて見えた。

 結婚を前提にということでないと、自分は付き合わない、というようなことを、彼は付け加えた。まるで私が、どうしても彼と付き合いたがっているかのようにも聞こえた。そして、だから自分は、今まで誰とも付き合っていない、とも言った。話の焦点が、付き合うかどうか、ではなく、結婚を前提かどうか、に動いていた。

 私には、子どもを持ち、家庭を持ちたいという結婚願望はあった。急に、ラインハルトと結婚したら、自分が持っている女性としてのこれからの人生への不安が一挙に解決されるという気持ちになった。私はもう恋愛はしないと誓っていた。では、なぜ自分は、ラインハルトを恋人にしないなどと考えたのだろう?ほかのだれでも恋人にしないのに?

 ラインハルトのことを、社会的に信用できる人物だと思っていた。大きな会社への就職も決まっていた。決して面白そうな仕事ではないし、私だったら絶対にしないけど、家庭の父親になるには、それがいいと思っているような人は私にとって都合がよかった。それで彼が問題ないのなら、みな丸く収まるのではないか。

 しかも、付き合ってみて、結婚はダメだと思えば、それから別れてもいい。そういう提案なのだ。

 私の結婚願望がそこまで強かったのか、なにか催眠術にかけられたのか、私は何も言えずに、ただラインハルトの話を聞いていた。

 子供が生まれたら、フランスでカトリックとして育てる、そうでないと結婚できない、結婚式はカトリック教会でないといけない、そうでないと結婚できない、離婚もできない、その覚悟がないと結婚できない。

 

 私は、フランスに永住したいという気持ちはなかった。フランス留学が終わったら、その経験を手に、日本へ帰るつもりだった。その当時の私の中途半端な留学生活ではなく、本当の海外生活経験を手に。でも、まったくそれしか考えていなかったのである。フランスで仕事をしたり、子供を育てたりということを、想像だにしていなかった。そういうことにあこがれて海外に来る人もいるだろうが、私はそのカテゴリーには入っていなかった。日本での職歴の方向転換を図りたくて、プールでクイックターンするときの壁板のように、この留学を考えていた。

 ただ、自分にフランスに住む能力がないと思っていたわけではなかった。やればできるだろう、と思っていた。

 

 私はラインハルトの話を聞くうち、初めてフランスに永住する自分という考えに至った。もともと冒険心の強い人間なのだと思うが、高校生の時に東京へ出ていくことがとても楽しかったように、新しい世界への誘いは、私をワクワクさせた。国際的な交流、フランスの知的階層の人たちとの付き合い、日仏二か国語を話すハーフの子供たち、もともと興味があったカトリックやキリスト教との深いかかわり…

 もちろん、同時に、本当に好きでない人と結婚を前提につき合うことへの罪悪感は感じていた。

 「でも、恋はもうしないのだし、結婚相手としては私の考えに合っているようだし、いい人なんだし、考えてみてもいいのじゃないか?」

 

 生来の結婚(家庭を持ちたい)願望と、冒険心と、私の勝手なポジティブな想像の未来像とが、私の背中を押した。ノーと言えない日本人的な部分も、あったかもしれない。

 ラインハルトの一方的な話に、私は割り込む技量がなく、それを語学力の問題やコミュニケーション能力の問題と思っていたが、それは、その後もずっとそうだった二人の関係そのままでもある。そしてそれは、よく言われるとおり、背徳的自己愛性人格障害のある人特有の、洪水のようなたくさんの言葉と、いろんなテーマへと話題を変えていく広がりの中で、HSPの人間が自己の考えの道筋を見失ってしまうという現象そのままだったような気がする。

 それと、私はおそらく共感性が強い。共感性などという言葉があるかどうかわからないが、相手の心に寄り添おうとする傾向が強い。オリオルがそうだから、あの子を育てながら、自分にもそういうところがあるとわかるようになった。当時そんなことはわかっておらず、自分の反応の仕方の特徴を、特に変わっていると思っていなかったから、自分が、断ると決意していたものを、この時なぜそうしなかったのかわからなかった。私は、共感することで相手を理解し、コミュニケーションを進めるという方法しか、知らなかった。コミュニケーションに限らず、すべてのものを理解することにおいても、今日かなんという方法を使っているように思う。例えば、数学の理論のようなものさえ。

 この説明はきっとあまりわからないかもしれない。でも、数学の理論も、頭で理解するのではなく、心で感じ取っている、と言ったら、少しはわかってもらえるだろうか。

 

 私は自分がどのように返事をしたのか、はっきりと覚えていない。ただ、「その条件はみんないいと思う、キリスト教の信条に合わせて子供を育てることは、すばらしいことだし、結婚は一生涯添い遂げるものだ。」とは言った。そして、付き合うか否かについては、きっと煮え切らない承諾らしきものを与えたのだと思う。