衣谷の日記

フランス在住働くシングルマザー

男性の野心家と女性の野心家について思ったこと

野心的で、夢を追い求める男性が、40を過ぎても独身だったりすることがある。女性に特にモテなかった訳でもなく、人間的にもまともで、結婚できなかったということではない。ただ不安定な自分の夢を追う人生に集中しているうちに、一人を選んできた結果だったりする。

ホリエモンさんのいつかの何かの講演会をYouTubeで聞いて(ホリエモン初見)、49歳で独身とおっしゃっていた。
ホリエモンさんに似た感じの、ある私の古い友人男性は、彼に惚れる女性は多いのに、50を前にして独身。今でも夢に向かって走り続けている。
13歳のオリオルが、昨日「ぼくはけっこんしないほうがいいんじゃないかな」と言った。「僕のやりたいことを全部実現するには、結婚してる余裕がない」と。オリオルは、ピアノの仕事をしながら、日本でプロバスケのチームを養成する学校を作り、シューズと服のデザイン会社を作り、アニメ映画を3本作り、地理政治家になって(あるいは総理大臣か外交官)、日本の国際問題を解決し、経済を立て直すのだと言っている。
オリオルのように、単純でやりたいことがどんどん出てくるうえに、それらを実現出来る自信もある子で、人の気持ちも分かる心があれば、自分のウルトラマン的夢と、家庭を作ることの両立が無茶であることが、13歳でも分かるらしい。
 
一方女性の場合、野心家であればあるほど、母親になるという選択肢は捨てづらい気がする。それを実現せずに、人生を成功した気になれない気がする。金持ちの良い夫を手に入れることを目的にするのではなく、優秀な女性は、仕事でもトップを目指しつつ、子供を持つために、結婚を選ぶことが多い気がする。
そしてできた子供を、精神的にも、能力的にも、身体的にも、もっともよく伸ばすように全力を尽くす。できるだけ仕事を続けながら。
こういう例に当てはまる女性を、私は幾人か知っている。そういう人は、子どもが小さいうちは、朝3時起き4時起きで本当に人の二倍の力を使って、母とキャリアを両立する。
そういうところに、ゴリゴリの野心を感じる。子供たちの習い事や勉強も、熱心に支えている場合が多い。それは、誤解されやすいような気がするが、いわゆる教育ママや、自分の名誉のために子どもに勲章を取らせるような態度とは違い、実際に子供の能力を伸ばしてやるというひたすら献身的なところから出ている行為であるように見える。

ノーメイクの時の眉毛問題

 40代の半ばくらいから、眉毛やまつげが薄くなった。そういう女性は多いのではないかと思う。まつ毛にマスカラを付けるのを、40代の終わりくらいから、完全にあきらめていた時期がある。あまりにも地まつげがなくて、マスカラを付けるところがなかったからだ。眉毛は、描けば何とかなるのだけど、ノーメイクの時、眉毛が薄くてみっともなく、近所であっても、外に出るときは眉毛は描かないとと思ったりしていた。

 

 そんな私が、53歳の今、ほぼノーメイクでも仕事にも行けるほどに、眉毛とまつげが復活した。

 実は、眉毛とまつげがとても薄くなっていたころ、私は「もう年だから仕方がない」と思っていて、特に対策はしていなかった。眉毛とまつげの復活は、偶然の発見によるものだった。

 

 この話は、他でも書いたのだけど、私は2~3年前から、湯シャンにチャレンジしてきた。もともと脂性で、髪を毎日洗わないとべたつくほうだった。ただ、子どものころは、週に一、二回のシャンプーだったと記憶している。

 職場のオフィスの入っているビルが5階にあり、全面ガラス張りのエレベーターに毎日乗る。そうすると、何もしなくても自分の頭頂部が見える。そこが、髪が薄いというほどではないが、パカッと割れていることが多く、髪のボリュームが取る形がかっこ悪かった。もともと毛量の多い私は、「あれ?私の頭頂部、前は丸みがあったのに、今はぺちゃんこで横顔が老けて見えるな」と気づかされた。

 老けて見える、というか、年相応なんだけど、でもうちで鏡を合わせてよくよく見ると、頭頂部の髪がやや薄い。しかもすぐに脂っぽくなるので、一番シャンプーを多用する箇所だった。最初は脂分がよくないから、よりシャンプーで落とすべきなのかとか、シリコン入りシャンプーがよくないと聞いたから、シャンプーを換えてみるとかしたけど、効果なし。時間とともにだんだん悪化してくる気もした。

 そんな検索をかけていたから、シャンプーが薄毛の原因、というような記事にたくさん会うようになった。最初は湯シャンにはかなり抵抗があって、そんなことできるかなと半信半疑だった。

 でも、好奇心の強い私は、試しても見たかった。その時の経過は別にまとめるとして、湯シャンにチャレンジし始めてから、半年くらいで、あるとき、「あれ?まつ毛が生えてる?」と気づいた。

 よく観察すると、眉毛も増えてきたことが分かった。湯シャンは定着するのに時間がかかり、私のような脂性の人間には、3歩進んで2歩下がる、というような感じだが、やはり毎日シャンプーを付けて洗っていたころに比べて、確かに生え際の様子なんかも、徐々に変わってきた。前髪を上げると、子どものころのような産毛が生え際にびっしり生えているので、輪郭がはっきりし、若返って見える。それと同時に、眉毛やまつ毛のような頭近い部分の毛も復活したようだ。

 洗髪の時にシャンプーが触れるだけで、そんな影響があったとは!

 

 私の場合、湯シャンの思わぬ効果が、眉毛とまつげの復活だった。

 

 これに加えて、私は半年ほど前、アマゾンで、まつ毛の育毛剤を購入した。数百円の安いもので、6週間続けて使うように書いてあった。最初はまつげをもう一押し濃くしたかったから購入したのだ。

 まつ毛復活で、マスカラを付けることができるようになったけど、マスカラって落とすのが面倒なうえ、メイク落としでごしごししていれば、薄まつ毛の原因になりそうに思えたからだ。せっかく湯シャンで復活しているまつ毛も、髪の産毛ほど発達しないのは、そのせいではないかとちょっと思う。だから、マスカラを避けて地まつ毛だけで行ける方法を模索していた。

 こちらの結果から言うと、私の地まつ毛は、どんなにびっしり生えても、もともと長さがないので、メイクしているときのようなキラキラまつ毛にはならず、地味。なので、まつ毛育毛剤は相当効果があったけど、エクステでもしない限り、マスカラはやめられそうにないということ。

 でも、最近は、マスカラはお風呂でお湯で落ちるだけ落として、後は目の周りに残るマスカラの色を、オイルタイプのメイク落としで拭くだけ、という処理にしている。これが正解かどうかは、まだ分からない。

 

 話を眉毛に戻すと、湯シャンで眉毛は復活したけど、もともとふわっとぼかしたようなタイプの眉毛の私。部分的にはとても薄い箇所があり、形を整えると毛量がまちまちで穴があく箇所がある。そこに描き足しているわけだけど、ノーメイクの時も自然にまつ毛がきれいに整っているようにしたい。ということで、購入したまつ毛育毛剤を、眉毛にもついでに塗ってみた。

 整えたときに描き足さなくてはならない箇所に、毎晩まつ毛と同時に。そうすると、完ぺきではないけど、少し改善。やっぱり描き足したり、マスカラを加えたほうがきれいだけど、まあまあノーメイクでも外出くらいはできるようになった。

 最近はずっと忘れて育毛剤をしていないけど、時々やるので十分、というか、これ以上は生えてこない気がする。子供の時もこんな感じだった気がするし、ということで、これはこれでいったんオッケーとしている。

 育毛剤は、湯シャンだけの時より、もう一声、毛量増加に役立ったと思う。

 

 血色が悪いので、口紅と頬紅は軽くつけるけど、時間のないときは、外部の人とのアポなどなければ、仕事にもそれだけでGOというときも。それで恥ずかしくないくらいに、眉毛が戻ったということだ。

 

 50代でも眉毛やまつ毛の薄毛は、諦めることないんだなーというのが実感です。

ラインハルトとの16年間 ㉖赤ちゃんの扱い

 私にはラインハルトが赤ちゃんの時、フィリスからどう扱われたのかを知ることはできない。しかし、フィリスが私の子供たちをどう扱ったか見ることで、ラインハルトをどう扱ったかを少し想像することはできる。

 

 とはいえ、当時私は、子供たちとフィリスの間の関係というより、フィリスと私の間の関係の問題に心を奪われがちだったから、細かいディテールはあまり覚えていない。

 

 そもそも、私の親友が、日本から双子誕生に合わせて来てくれることになっていて、私の手伝いをしてくれることになっていた。ところが、彼女の当時付き合い始めていた相手が病気で倒れ、突然来られなくなった。それで私は、自分の母に急遽応援を頼んだのだが、母は見知らぬ国で、逆に足手まといになるからと、ずいぶん悩んだ末に断ってきた。親友に泊まってもらうつもりで借りていた近所の短期貸しのステュディオに、結局フィリスが泊まって私たちを手伝うことになった。

 今思えば(何度も出てくる、この「今思えば」!)、こういう時にちゃんと断れるべきであり、ちゃんと話し合うべきだったのだ。でも、人間はその時々にできることしかできないし、あの時はそれが精いっぱいだったんだから、とあきらめて前を見なくてはならない。ただ、今だったら分かるのだ。こういうのが、問題だったのだと。

 

 フィリスは日中いて、夕方からは私のもう一人の親友にバトンタッチして、彼女が夕飯を作ってくれていた。

 

 私は、まだ病院で診察があったり、キネに行ったりと外に出ることもあったから、フィリスがその間、子供たちを見ていてくれた。くれた、と言っても、私は感謝はしていない。本当は、ラインハルトだっていたのだし、ソーシャルワーカーの援助もあったのだ。それでも私は、フィリスの助けは必要ないと言えなかった。(これからは、言える人間になろう。)当時、双子育児はものすごく大変だから、差し出される手はなんでも利用しろ、と、双子育児のアソシエーションから言われ、調べるとどこででも、雑誌やテレビでも同じことが言われていた。一人で何とかしようとするのは、ばかげたことであり、結局は子供にも良くない、と。だから、フィリスを断ることは、私のわがままであるように思えもした。でも、私の直感ははっきりと、ノーと言っていた。直感の出どころは、嫁姑のありがちなライバル意識なのか、フィリスの少し奇妙な点にあったのか、自分でも判然としなかったが、たぶん判然とする必要なんて、なかったのだと思う。私が嫌だと感じたら、嫌でよかったのだ。フィリスが普通の人ではないことを、テレビの人は知らないのだから。

 

 フィリスは、私の不在中に私がしてほしくないことをした。

 例えば、私は自分の子をできるだけ母乳で育てようとしていた。そして、赤ちゃんが欲しがったら母乳をあげ、欲しがらなければ、時間になったからと言って与えようとしないようにしていた。双子のリズムはそろわなかったから、そうするととても大変だった。でも、私は双子だからと言って、単胎児が受けることのできる扱いを受けられないというのは嫌だった。私は自分の子供たちに、できる限りの一番いい対応をしたかった。私は育児書を読み、自分が一番納得のいった、求められてから母乳をあげる、を実行すると決意していた。

 赤ちゃんはあまりたくさんのことをしない。寝ることと、飲むことと、排便排尿することくらいだ。そんな数少ない自己表現を、ちゃんと一人一人の欲求にこたえて育てたかった。私はラインハルトにもそう言っていた。

 たぶんラインハルトは、そんなことはどっちでもよかったのだと思う。私に反対もしなかった。ただ、フィリスが時間になったからと言って、機械的にミルクを与えても、それに反対もしなかったし、リンが嫌がるよ、とも言ってくれなかった。ラインハルトは、私の前では私の言うとおり、フィリスの前ではフィリスの言う通りで、波風を立てないでいることを選んでいた。

 

 私は、せっかく子供たち一人一人のリズムを尊重してやっているのに、帰ってみたら、寝ていた子を起こして無理やりミルクを飲ませているシーンにぶつかったりすると、とても腹が立った。ラインハルトに、欲しがったの?と聞くと、そうでもないけど、時間だから、ということがよくあった。そして、キャスは欲しくもないミルクは、全部一回口の中に吸い込んで味わったら、またそのまま口から吐き出すようになった。吸っては吐き出すを繰り返して、よだれかけをべしょべしょにした。それが、キャスの遊びみたいになっていった。

 それはそれでいいのだけど、キャスがそういう飲み方をすると、フィリスはいらいらして、「なんでこんな飲み方をするのかしら、この子は!こんなの見たことないわ。」と言った。そして舌打ちをしながら、何度も抱きなおして、角度を変えたり、向きを変えたり、ミルクの濃度や温度を調べたりしたけど、キャスは相変わらずミルクを吸っては吐くを繰り返した。

 フィリスは、しまいにはのどや舌の奇形ではないかと言ったりもしたが、私はあれは、キャスが自分で飲みたくないから、ただ吐き出していただけだと思う。意志の強いキャスが飲まないと決めたら、絶対に飲まないのだから、フィリスがどんなに持ち方を変えたって無理だった。

 

 それを証拠に、9月になってフィリスが住んでいたステュディオの期限が切れて帰っていき、うちには時々しか来なくなり、私がまた、欲しがった時だけ授乳するという方法を徹底したら、ぷくぷく丸々していたキャスは少し細くなって、一日に2回の授乳で元気にしていること時期がしばらく続き、ミルクを吐き出すのをやめた。

 ミルクを飲むか飲まないかは赤ちゃんの自由だし、赤ちゃんの意志だ。意志以上に、赤ちゃんの必要不可欠な欲求だ。それを、フィリスは有無を言わさず、決まった時間に決まった量、きっちりと飲ませなくてはならないと押し付けた。決まった量飲まないと、いつまでも口に哺乳瓶を押し込んで飲ませようとする。もちろん、親が疲れているときは、授乳頻度を落としたいから、なんとかたくさん飲んでくれ~とは思うけど、でもやっぱり、子供の欲求が最優先なはずだ。なんとか双子のリズムが合ってくれ、なんとか眠ってしまわずに、おなか一杯になるまで飲んでくれ、とは思うけど、そうなったらうれしい、というだけで、それを強いるのは私はどうしてもいやだった。

 オリオルは小さくて体力がなかったから、ミルクを飲み終わる前に疲れ切って、すぐに眠りこけてしまった。眠ると、かわいい目を閉じて、大仏さまみたいな安らかな顔をして眠る。フィリスは何度も起こそうと躍起になったが、オリオルは熟睡してミルクどころではないことが多かった。

 

 きっとこの調子で、自分の子供たちも育てたに違いない。あまり繊細な人ではないから、赤ちゃんの訴える微妙な欲求など、もともと汲み取れないほうではあるだろうが、私が気になったのは、それよりもその支配的な態度だった。自分が思うとおりにならなければならない。だから、私が弱々しく自分のやり方を主張しようとすると、たいてい、「あなたは知らないんです。私は3人の子供を育て上げ、しかもベビーシッターもしてきたんですからね。これが一番いいんです。」と決めつけてかかった。

 

 子供が泣き止まないときも、自分にやらせろと言ったりした。子供が何かを訴えて泣いているとき、私は原因を探ろうとする。どうして泣いているのか、抱かれて安心したいのか、どこか具合が悪いのか、まぶしいとか寒いとか何か不快なことがあるのか。でもフィリスは、いきなり機嫌を取った。いないいないばあをしたり、くすぐって笑わせたり。そして、ぐずっていてもいなくても、よく、「見ててごらん」と言って、赤ちゃんの一人を膝に取って、自分の肘から先にしっかり抱え込み、自分の真正面に置いて、「太もも太もも太もも~!」と言って、赤ちゃんの太ももをキュッキュッキュッとつまんだ。赤ちゃんは、いきなりのことにヒステリックに笑う。フィリスは嬉しそうに、ほらね、私の手腕を見た?という顔をする。ほかの子供たちがいると、それを見て「かわいい」と喜んだりする。確かにかわいいんだけど、なんか変なんだよなぁと私はずっと思っていた。

 それでは、赤ちゃんは自分がしたかったこと、言いたかったこと、見たかったことが分からなくなってしまうじゃないか。赤ちゃんは赤ちゃんで、何かに集中して感じ取ろうとしていたりする瞬間だったりするのに、それが全く無視されて、どかどかどかと土足で邪魔をされるみたいに感じた。しかも、いつもそれが型にはまった同じことの繰り返しだったように思う。赤ちゃんとの交流は、一瞬一瞬、違うもの、新しい発見に満ちたものであるはずなのに。

 

 その違和感は、当時はそれほど考える暇もなかったけど、今思えば(ほらまた!)、やはりPNについて書かれた本の言うように、子供のことを「おもちゃ」だと思っているのだと思う。確かに、足を押すと音の出るぬいぐるみみたいな感じだ。

 それはラインハルトにも共通している。オリオルはものすごく小さかったから、大きなラインハルトの手のひらに乗るように見えた。ラインハルトの手に載せられた、眠りこけるオリオルの写真がある。あの姿勢で寝付くまでラインハルトがじっとしていたわけではないから、眠っていたいたオリオルを、ラインハルトが自分の手に載せたのだ。猫に対してでさえ、私はそんなことはしない。

 ほかにも、眠り込んでいるオリオルを、布おむつの布を二つ折りにしたものの中に入れて、吊り下げているラインハルトが自撮りした写真が残っている。それを見ると、キャスがいつも怒る。「なんでこんなことするの。面白いと思ってるの」と。でもたぶん、パパ本人にそんなことを言ったことはないと思う。

 

 そういえば、ラインハルトはいつもやけにはしゃいで子供たちをおもちゃにしていた。まだ3か月くらいの時、友達が送ってきた日本のキャラクターの描かれた派手なよだれかけを二人にかけて、一つのソファーに二人とも座らせて写真をたくさん撮ったことがある。まだお座りができない二人は、ソファーのひじ掛けと背もたれになんとか寄りかかって体を支えているものの、お互いに寄りかかりあって潰されそうになりながら、一生懸命もぞもぞする。その時、何度も体勢を直させながら、何十枚も彼は写真を撮った。派手な異国のよだれかけと、小さな生き物が無理無理座らされている様子が、彼にとってはとても面白かったらしかった。

 私はなめ猫を思い出した。かわいいかもしれないけど、微妙なところだ。

 今、この時の写真を見ると、やっぱり子供たちはやや苦しそうに見える。だいたい、モノじゃないんだから!と言いたくなる。

 

 その後も、よくラインハルトは子供を仮装させて写真を撮った。数か月の時、自分の応援するサッカーチームのユニフォームを着せて写真を撮り、それをチームの雑誌に送ったので、雑誌に載ったことがある。確かにヨーロッパのチームのファン雑誌に、日本人双子のユニフォーム姿は珍しかったのだろう。でもそれってやっぱり見世物的だと思う。物心ついてからは、二人ともサッカーのユニフォームはパパからずいぶん贈られたけど、自分から着ることは全然ない。今でも、その時の写真を見ると、子供たちは「無理やりだ!」と怒る。

 そのほかにも、日本の泥棒の恰好で撮った写真とか、いろいろある。私は嫌だなあと思いつつも、はっきりと嫌だと意思表示したかどうか、あまり記憶にない。

 

ラインハルトとの16年間 ㉕ヘルメットの話とずれたお節介

 この話は、フィロメナがバカだという以外に、以前はあまり私の関心を惹かなかったエピソードである。実際、すごくバカバカしいと思う。

 

 ラインハルトが1~2歳のころのことだと思う。まだ歩行が得意でない時期、小さな赤ちゃんは、よくまたがって乗る車のようなもののおもちゃで遊ぶ。ラインハルトも、大きなトラックのおもちゃを買ってもらい、それに乗って遊んだ。

 ラインハルトが好きだったこと、繰り返し繰り返しやったことは、そのトラックの荷台のところにまたがって、アパートの短い廊下を突き進み、ゴーンと向こう側の壁に激突することだった。

 この話は、ラインハルトに聞いたのではなく、私は何度もフィリスに聞かされた。この子ったら、壁に激突するのよ、ゴーン!ゴーン!ゴーン!そりゃあもうたまらなかったわ。

 そしてフィリスの話は、ラインハルトにヘルメットを購入し、そのトラックで遊ぶ時にはいつもそれをかぶらせた、と言って終わった。

 

 それはいったいどうしてだろう?ヘルメットをかぶらないと危険だったのだろうか?転んだり、壁で頭を打ったりするのではないのに?私だったら、どちらかというと壁にクッションを立てかけて、壁やトラックに傷をつけないようにするとか、多少衝撃を和らげるとかすると思うのだけど、なぜヘルメット?

 それは今でもわからない。何かした、というのがいいのかもしれない。自分は息子を守っている、と考えるのがよかったのかもしれない。

 そのエピソードを語るとき、フィリスは嬉しそうに、おかしそうに笑った。何かおかしいのか、やっぱりわからない。自虐的に、そんな変なことをしたのよ、私は、という意味だろうか?

 

 なんだか、ずれているのだ。子どもに必要なことや、子供が求めていること、たぶんこの場合、ゴーンと当たるときの衝撃が刺激的で面白いとか、音がいいとか、スピード感がいいとか、そういうことだと思うから、私だったら、安心してそれを楽しめるように環境を整えると思う。

 

 フィリスも、ラインハルトも、いつもこういうふうに少しずれている。ずれていて、しなくてもよい干渉をする。過干渉できるのがうれしいのかもしれない。

 もちろん、過干渉と言えば、コリーヌの脚や、イアナの耳だって、そうだ。

 

 赤ん坊のラインハルトは、大した抵抗もせずに、フィリスのかぶらせるヘルメットをかぶっている、というのが支配欲が満たされて、彼女は満足なのかもしれない。

 

 今ふと思ったが、それが5歳くらいの小さな子が考えたことなら、納得がいくかもしれない。全然理にかなっていないけど、本人はいい気になってやっている、という。

 それから、やっぱり見た目の問題かもしれない。浅はかだけど。子どもの安全を守ろうとしているように彼女には見えるのかもしれないし、クッションを置くより、トラックにヘルメットのほうが見た目のまとまりはいいかもしれない。

 でもやっぱりバカなのだという気がしてしまう。

 

 こういうずれた感じのことを、私の双子にもフィリスはいろいろしたように思う。

 例えば、ドゥドゥ。…そういえば、ドゥドゥという言葉、同等の日本語の訳語がない。ライナスの毛布のことだけど、欧米ではとても一般的なものだ。たぶん、欧米では、母親が赤ちゃんを独立した個人として最初から結構突き放して(?)育てるので、赤ちゃんはそういう安心するためのオブジェを持っていることが多い。批判も多いけど、おしゃぶりも一般的。一方、母親が添い寝をしたりする日本では、赤ちゃんはそういうオブジェをあまり必要としないようだ。日本の赤ちゃんのライナスの毛布は、母親である。こちらでは、それを不健康なこととみなす人もいる!

 

 キャスはおしゃぶりもドゥドゥも嫌で、親指を吸う癖があった。でもこれも目的は同じで、安心するための行為だ。

 オリオルは、出産時に誕生祝としてコリーヌがくれたフワフワのウサギのぬいぐるみが大好きで、その「ラパン」がオリオルのドゥドゥだった。ラパンをなくすと大変なことになるので、洗濯できるように二匹目を購入し、保育園に行き始めた時には保育園でなくさないように3匹目を買い、幼稚学校ではお昼寝オブジェとして持ち帰らずに学校の棚にしまっておかなくてはならなかったので、さらにもう一匹、日本旅行の際にもう一匹、…と増えた。オリオルはそれらのすべてのラパンをとても愛していて、いつも群れでウサギを飼っているみたいだった。そんなにもラパンを気に入っていたのに、フィリスは、自分が発明したドゥドゥをうちの子たちに持たせようとしたことがある。

 それは、ごく普通の平織りの木綿の布でできたハンカチのようなものだ。サイズもちょうどそれくらいで、ガーゼのような赤ちゃんが気に入るような手触りの布地ではなかった。確かイケアで彼女が買った、赤ちゃんのシーツか何かを作るための布の残りで、彼女はそれをみんな同じハンカチサイズにカットして縁を縫い、孫に持たせていた。

 これだったら、なくしてもいくらでもできてお金がかからず、なくなったとか、見た目や手触りが変わったと言って子供が不信感を持つこともない、素晴らしいものだと自分で言っていた。

 でも見た目もかわいくないし、何の感情移入もできないし、フワフワもしていない。こんなものを子供が受け入れるんだろうか?と思ったが、コリーヌのところの二人、長男のジャックと妹のローズは、この味気ないドゥドゥを使っていたという。その成功に気を良くして、うちにも押し付けてきた。

 なんだか、こんなものをドゥドゥとしているなんて、かわいそうに思える。そのちょっとみすぼらしいものを持たせることに喜びを見出しているのではないかと、勘ぐってしまう。

 その時にはすでにオリオルのラパンも、キャスの指吸も定着していたから、私は受け取りはしたが、子供に与える気など全然なかった。ラインハルトが何か言っても、「でも子供たちには見せたけど、興味を示さないわ」と適当なことを言って流し続けた。フィリスは時々私に、「カッサンドラの指吸の癖は治さなくてはいけません。このドウドゥを使いなさい。」と言ったけれど、キャスがそう簡単に自分の習慣を変えないのはわかっていたし、フィリスのドゥドゥなど我が子に持ってほしくなかった。フィリスは、機会さえあればキャスに自分のハンカチ・ドゥドゥを売り込んでいるのを見て、私は気分が悪かったが、結局キャスは受け入れることはなかった。

 フィリスはその後も何回か、そろそろ新しいのがいるだろうなどと言って新しいハンカチ・ドゥドゥを持ち込んだけど、フィリスがいなくなれば、私は、その押し付けドゥドゥを子供たちの目に入らないところに置き、皿拭きの布巾に使ったりしていた。

 

 今思えば、はっきりとラインハルトに言って、捨ててしまえばよかったんだと思うけど、そこまでする勇気は、そのときはなかった。子どもたちは時々ままごとでテーブルナフキンに使ったりしていたが、そのうち私の季節外れの衣類の誇り除けなどとして使っているうちに、引っ越しも重なって、今ではうちでは全く見かけなくなっている。

 子供たちは覚えていないようだ。(よかった。)

 

 

 

ラインハルトとの16年間 ㉔ノートびりびり事件

  ラインハルトは、自分が子供のころの話はあまりしない。しても、部分的だったり、個別のエピソードだけで、私としては全体像はつかみにくい。

 そのうちのいくつかをこれから書いてみようと思う。

 

 ラインハルトのお姉さんたちは、小学生のころ勉強がよくできた。特にコリーヌは、前にも書いたようにIQが高く、飛び級を進められたくらいだから、クラスで一番というくらいの成績だったんだろう。フィリスの話では、勉強しなさいなどと言わなくても、自分たちで勝手にやっていて、成績に普通に良かったということだ。ところが、ラインハルトは少し違った。

 男の子だから違って当然のような気もするが、お姉さんたちのように自分から勉強をしないので、いつも叱られていたようだ。

 小学生の時、宿題の書き取りをやると、フィリスが「見せなさい」と言った。見せると、汚いと言われ、フィリスはそのページをびりびりと破り取ってしまい、こんな汚い書き取りではだめだと書き直させた、というエピソードをラインハルトが私に話したことがある。お姉さんたちはちゃんとやれるのに、どうしてあなたは!と何度言われたか知れない、と。「汚い」はフィリスがよく言う言葉だ。今書きながら思ったが、フィリスは文盲なのだから、ラインハルトの書き取りがあっていたか間違っていたかは、わからなかったはずである。だから、フィリスが見ていたのは、見た目が「きれいかどうか」だったのだろう。そして、見た目が悪いことは、フィリスにとってはあってはならないことだった。それは、自己愛性背徳者の特徴の一つで、美しいファサードを何より大切にする傾向に合致する。フィリスのやることなすことは、いつもこの原則に従っている。ラインハルトの汚いノートは、フィリスにとって許されないことだった。

 

 その話をしたのが、どういうコンテクストだったのか思い出せない。そのような自分の弱い部分となりえるようなことをラインハルトが話すことは、時々あったように思う。でもその時のラインハルトの言い方は、フィリスは自分は字も読めないくせに、というフィリスへの侮蔑的な気分を表現しているほかは、自分の心が傷ついたというようなことは、何も表現していなかった。まるで人ごとのように、そう言った。あるいはそれは、フィリスに比べれば、自分は、あるいは誰か友人や知り合いの母親は、それほどひどくない、とか、そういう言い訳的なコンテクストだったかもしれない。

 もしかすると、そういう時に、私が今の知識があったら、掘り下げてラインハルトの中にいる小さな傷ついた男の子を見つけ出すことができたかもしれない、とちらりと思う。けれども、ラインハルトは、その小さな男の子を、全力で封印している。その封印が解けそうになる怖ろしい瞬間を、私はこれまでに何度か見たことがあるように思っている。それでも、そのたびに封印は解けず、代わりに彼はさらに大きな力でそこに思いふたをする。

 

 もしかすると、私がフィリスに言われたことで苦しんでいるときに、そんなことは当たり前、というために出てきたエピソードだったかもしれない。その時の、ノートを破られる、しかも一度ではなく繰り返し行われた精神的暴力、自分のやったことを否定される横暴な力を、私はラインハルトの思い出話から聞き取っていた。それは私が感情移入が強いからなのか、本当にそこにラインハルトの隠された痛みがあったのか、わからない。あったのではないかと、いまだに思う。あったのなら、救いようがあるのではないかと、今でも思ってしまう。

 

 しかし、私がいくつかの本で学んだところによると、自己愛性「背徳者」となる人の場合、このラインハルトのエピソードのような、小学生時代よりももっと前の段階、赤ちゃんの時に正しい自己像を投影する鏡を持ちえなかった場合に、精神構造自体に異常をきたしており、そもそも正常な人と根本的な機能の仕方が違うので、掘り下げて救い出すということは不可能だと言われる。

 本当にそこまでおかしいのかどうか、私はいつもそこで立ち止まってしまう。

ラインハルトとの16年間 ㉓耳の話

 フランスでは、と言っていいのかどうかわからないが(ほかの欧米諸国でもそうかもしれないので)、耳が立っている、あるいはとがっているのは、あまり評価されないらしい。頭の形に添って寝ている耳がよい耳で、頭から少し離れている耳は格好が悪いらしい。

 立った耳は、動物的な印象を与えるのかもしれない。こちらの人間でない想像上の生き物(妖精とかドラキュラとか悪魔とか)の耳も立っている。

 私は頭の丸みから離れている耳は、まさに妖精みたいだからかわいらしいと思うが。

 

 ブランディンの次女、イアナは、耳が立っていた。イアナは私のお気に入りの姪だった。元気いっぱいで短いおかっぱの髪を振り乱してよく遊ぶ。そのつやつや、ふわふわの髪の隙間から、耳がのぞいている。お姉さんのマエルは、傷つきやすく、ねたんだりひねくれたりすることも多かったが、イアナは男の子のようにさっぱりしている。

 私には、イアナの耳はいたずらっぽい妖精の耳であり、容姿の個性として好意的に見ていた。

 

 ところが、ペルチエ家では、立った耳というのは目の敵にされていた。

 実はクロードの耳が立っている。母フィロメナが支配するペルチエ家では、父クロードの持つものはすべて否定された。クロードの家族や親せきと同様に、クロードの耳も、受け入れがたい、卑しむべき欠点である。イアナは、マエルと同じくらいかわいらしかったけど、クロードに見た目が似ていることも、フィロメナのいる世界にいる間は、イアナにとっては不運なことだ。

 イアナが小学生になるころまでに、イアナの耳は当然手術をして治すべきものと考えられるようになっていった。

 それを最初に言い出したのは、フィロメナだった。次第に、ブランディンやラインハルトも同調し始めた。

 

 今調べてみると、フランス語サイトでは、立った耳を、なんと「アブノーマル」とか「奇形」と呼んでいるところがありびっくりした。ただし、その「奇形」は、フランス人の約5%に見られるというから、別にそれほどアブノーマルではない気がする。立った耳の人で、手術で耳を頭にくっつける人は、その5%のうちたった2%しかいない。整形手術としては多いほうなのかもしれないが、たった耳を直すのは、どちらかというと珍しい行為である。

 そのような珍しい行為をすることを、当然のごとく、「ああ、あの耳は(まるで世界中のどんな立った耳よりさらにひどく立っていて、恥ずかしいものであるかのように)治さなくっちゃね。」と、フィロメナは何年もの間言い続けたのだ。おそらくイアナが聞いているところでも言っていたに違いないし、ラインハルトとブランディンは、しばらくするとすぐにフィロメナの側についた。

 それは一種の保身である。「自分は、そんなひどい耳を擁護する側にいないよ、お母さん」、そしてさらに嫌なことに、それが「イアナのため」とされることである!「かわいそうに、イアナをあのままにしておくわけにはいかない。」というわけである。もちろん、あのままにしておくわけにいくのに。「かわいい素敵な耳、人口の5%しかもっていない、魅力的な耳」と心から言ってあげたっていいのだ。もちろんそうすべきなのだ。

 結構な金額がかかるうえに、保険は下りない。あごの骨が小さくて、あごなしに見えるとか、鼻が上を向いているとか、片目だけが二重だとか、そういう人たちが人口の何%いるか知らないが、おそらく同じくらいだろう。それは誰も奇形だとは言わないが、それだってかなり、ことによっては醜いものだ。結局は、本人がどうとらえるかではないか。

 

 イアナの場合、手術を受けたのは9歳くらいの時だった。たったの9歳で、判断したのは当然親であり、数年に渡って、本人の自己像に影響を与え続ける発言をしたのは、周りの大人たちである。最初は、本人が自分の耳を嫌っていたような記憶はない。しかし、最終的には、私以外の家族親戚全員が、イアナの耳を手術することを、イアナのために良いことだと言うようになった。私は時々、イアナ自身に、私が彼女の耳をかわいいと思っていることを伝えていたけれど、それでイアナが手術に反対しようとするということはなかった。私は、時々会う血のつながらない親戚の一人にすぎない。

 結局、あんなにいつも耳のことを言われては、イアナも気にしないわけにいかないと思う。ショートカットがかわいかったイアナも、8~9歳には髪を伸ばすようになり、結びもせず、いつも耳を隠すようになった。

 

 イアナの耳の手術は、子供をありのままに認めないフィロメナとそれを踏襲するその子供世代の象徴的な出来事だ。イアナが耳を手術した後、イアナは、フィロメナから素敵なピアスと、服やおもちゃのようなプレゼントをもらった。私が理解できないというと、ラインハルトは、イアナは手術に耐えたんだ、当然だろと言った。心がざわざわするような嫌な出来事だった。フィロメナの言うとおりにしたから、ご褒美をもらったのだ。それは支配の続きでしかない。

 今、私の子供たちも、そのようなプレゼントを、ラインハルトやフィロメナからもらい続けている。このことを、イアナや子供たちに理解させるのは、非常に難しいことである。

ラインハルトとの16年間 ㉒下のお姉さんコリーヌ

 これはコリーヌの話というより、フィロメナのことを書くために、コリーヌのことを書いているようなものだ。

 私は、コリーヌがペルチエ家で最も健全な人だと思う。私が今でも直接の関係を保っているのは、コリーヌとクロードだけである。

 

 コリーヌの容姿はブランディンによく似ていたが、よく似ているだけに、比較すると、どうしてもブランディンより見た目では引けを取った。コリーヌのほうが少し小さくて、愛嬌はあるがブランディンのような整った美人ではなかった。だから、二人姉妹で一緒にいれば、コリーヌが3枚目役を買って出ることが多かったのだと思う。特に、母フィロメナが、ブランディンの美しさを崇拝していたからなおさらである。

 

 しかしコリーヌは、非常に賢かった。小学校低学年の時、担任の先生にIQテストを受けることを勧められ、かなり高いスコアが出たために、飛び級を提案された。しかし、親は、同じ年の子供と一緒にいるのが一番、と、その申し出を断った。

 私はその話を後になってコリーヌ本人から聞いた。彼女は彼女らしい愛くるしい笑顔で笑って、そんなこともあったのよ、と言った。

 いつか、私がフィロメナと話していた時に、コリーヌの博士号の話題になったことがある。コリーヌは、物理学の博士号を持っているのだ。私はそれについて詳しく知りたくて質問したのだけど、フィロメナは、うちの娘は二人とも、別にもともと頭がいいとかそういうんじゃない、ただ、とても努力家なのだと言った。小さいときからそうだった、二人ともよい成績だったけど、それは努力したからだ、と。

 その意味が私にはよくわからなかった。まるで生まれつき頭がいいのは、悪いことみたいだった。しかもコリーヌの博士号については、何の返事にもなっていなかった。

 コリーヌから、彼女がよいIQを持ち、飛び級するほど賢かったという話を聞いた時、あんなにも自慢話の好きなフィロメナが、どうして今まで私にその話をしなかったのだろうと疑問に思った。なんとなく、フィロメナは、コリーヌが生まれついた才能を持っているということを、認めたくないような気がした。でもどうしてそうなのか、よくわからない。今でもよくわからない。

 

 フィロメナは、どういうつもりでそんな話をするのか私にはわからない話をいくつもする。そのうちの一つで、妙に引っかかるものがある。

 それは、コリーヌが生まれた時、その彼女の新しい赤ちゃんを病院から連れて帰って、よくよく見てみると、右の耳と左の耳の形が違っていることに気づいた、という話だ。フィロメナは泣き出してしまった。午後じゅう泣いているフィロメナに、クロードが、もしそんなに心配なら医者に行ったらどうだと言い、フィロメナはコリーヌを医者に連れて行った。

 医者は、フィロメナに、人間というのは完全に左右対称ではない、誰だって左右が多少違うものだ、コリーヌは正常だ、と説明して、それで納得して帰ってきたというのだ。

 その話の何が面白いのか、私にはさっぱりわからないのだが、このエピソードは時々語られ、なにやら楽しそうなのである。

 医者に意見を聞け、というのは、ペルチエ家の家訓みたいなものだ。医者に限らず、自分たちで判断せず、なんでも専門家に聞く。もしかすると、ベビーシッター時代にフィロメナがルフェーブル夫妻から仕込まれたことなのかもしれない。私は当時はそれ以上考えなかったが、今ならこう思う。ルフェーブル夫妻は、子供を見てもらっている間、何か変わったことがあったら、フィロメナが自分で判断せず、必ず医者に連絡するように、厳しく言って聞かせたに違いなかった。フィロメナは基本的にイニシアティブを取る人間だが、よかれと思ってものを知らないスペイン娘がやったことが、我が子たちに害を与えてはならないから、「そういう時はこのドクターに連絡しなさい。自分で勝手に判断しないこと」と言われただろうと、想像がつく。それを今でもずっとやっているし、ペルチエ家の子供たちもそれを踏襲している。だからラインハルトは、どんなに明らかにわかりきっていることでも、医者に聞いてからでないと子供の病気について、私に何もさせなかった。それはもう何度もやっているノロだから、病院に行っても仕方がない、やり方はわかっている、と言ったって無駄だった。「お前は医者じゃない。」

 私は長いこと、それはフランスの風習なのだと思っていた!

 

 さて、話をコリーヌの耳に戻すと、これも最近になってやっとそういうふうに思うようになったのだけど、耳の形が左右違う赤ちゃんは、フィロメナにとっては不良品だったのだ。だから、泣いた。「私のもらったお人形は壊れていた」みたいな感じだ。これは非常にきつい言い方かもしれないが、私はフィロメナは、子供を人間だと思っていないと思う。

 

 私は、オリオルが生まれた時のことを人生で一番素晴らしい瞬間として覚えている。オリオルは、生れ出てすぐに、助産婦さんが私の胸に載せてくれた。「おお、こんにちは、私の赤ちゃん!」と呼ぶと、オリオルは生れ出る戦いですっかり消耗していたけど、か細い声で泣くのをやめ、私の声のしたほうを見ようと頭をもたげ、こちらを見た。かわいい!こんなに素晴らしい赤ちゃんは、世界に一人もいないに違いない。オリオルは未熟児だったから、ほかの赤ちゃんよりずっと小さかった。ほかの赤ちゃんはでかくて、ちっともかわいくなかった。おっさんみたい。私のオリオルは、なんて小さくて、なんてきゅっと細かくいろいろなものが完璧にできていて、かわいいんだろう。この小さなとがった顎、大きな好奇心いっぱいの目、不思議な動き方をする腕…みんな最高だった。

 そのすぐ後に、双子の妹カッサンドラが誕生した。カッサンドラは色白で、黒髪で、黒い瞳をしていて、非常に美しかった。オリオルよりも少し大きく、しっとりと女らしかった。一瞬私の頭はぐらついた。今までオリオルが最高位についていた私の価値観の地軸が、ぐら~とカッサンドラに合った。カッサンドラは世界で一番美しい赤ちゃんだった。こんな、こんなに壊れそうな、希少で貴重な美女が、私のものだなんて。私は気恥ずかしいほど誇らしかった。

 この体験は、すべての母親が自分の赤ちゃんを見た時に、感じることなんじゃないかと思う。耳の形が違っていたら、どっちの耳も素敵だと思い、違っているのが一番いんだと思うのが、本当なんじゃないか。

 

 が、フィロメナは違うのだ。自分が欲しかった赤ちゃんと、コリーヌはちょっと違っていたのかもしれない。

 でも結局、コリーヌはブランディンの完璧性をたたえるために生まれてきたみたいなところがあったかもしれない。だから、コリーヌの成績が良かったり、生まれつきの才能を持っていることは、無視された。

 うんと優しい見方をすれば、だれだって一番上の子がかわいいというのは、多少はあるのかもしれない。でもそれにしても、次のエピソードを聞くと、かなり重症だと誰だって思うのではないかと思う。

 

 それは、コリーヌが小学校の一年生くらいのことだった。ある日、フィロメナは、コリーヌの足が内股で、膝が曲がっていることに気が付いた。それはフィロメナには大問題だった。コリーヌの足は、まっすぐな美しい脚ではない。それは受け入れがたいことだった。

 どのようにしてそれが可能だったのか知らないが、痛かったわけでも、運動に障害があった訳でもないのに、コリーヌの脚は手術された。膝と足のつま先が前を向くように外科手術で矯正されたのである。

 コリーヌは、その後何か月もの間、両足にギブスをはめていた。日常生活をどのように送っていたのか、誰も話してくれないからわからないが、想像するに常に介助が必要な状態だったはずだ。

 その話を、私は家族がそろっている場で何度か聞かされた。フィロメナは、コリーヌの脚は美しくなかった、と言った。私はそんなことしていいの?と思ったが、よくわからなかった。彼らにとっては、それは必要なことで、まるで歯列矯正をするかのように、考えられていた。

 

 だが、それからずっと経って、4年ほど前、ラインハルトと別れた後にコリーヌに会った時、コリーヌは、「そんな必要なかったのよ。今は知ってるわ。当時は、しなくちゃいけないんだって思ってたけど。そのあともずっとね。でも医学的に言って、必要なかったの。小さいとき、筋力が弱ければ内股になって膝が曲がっている子供って結構いるんだわ。だけどそのうち、筋肉が発達すれば治るのよ。もし早く治したければ、手術ではなく、筋トレだってよかったのよ。あの数か月、本当に嫌だった。」と言った。

 私もまったくその通りだと思っていた。どうしてそんなことをされたのか、コリーヌには分かっているようだったけど、それでも、私が思うほどショッキングなことだとは見ていないようだ。彼女は、そういうことはありうることだと考えているようだ。

 足が曲がっているのも、フィロメナには不良品だったんだろうし、その話をみんなにして回るのも、コリーヌには嫌なことだったのではないかと思う。コリーヌを、出来損ないの立場に置いておく必要が、フィロメナにはあったのだ。私はそれは重罪だと思う。

 

 コリーヌは博士号を取った後、アメリカに就職して出ていき、そこに10年以上とどまっていた。コリーヌはアメリカで鬱になり、カウンセリングとある牧師さんのおかげで救われ、元気になった。アメリカで付き合っていた男性と別れてしばらくして、コリーヌはフランスに戻ってきた。コリーヌが鬱を発症したのも、生育歴が関係しているに違いなかった。コリーヌとそのことを深く話し合ったことはないけど、きっと自分で分かっているんだと思う。

 私がラインハルトと別れてすぐに、コリーヌたち一家は、ペルチエ家と距離を取るようになっている。