衣谷の日記

フランス在住働くシングルマザー

モンゴメリーの作品に出てくるおばさんたち

 今、「エミリーはのぼる」を読んでいる。もう何度読んだかしれない。寝る前に、モンゴメリーを読むのが、習慣になっている。

 ルースおばさんがどんな人か、知っている人はあまりいないとおもうが、エミリーを読んで、ルースおばさんの描写を読めば、いるいる、こういう人、と誰もが思うだろう。エミリーを、いつもエムリーと発音するなんていうディテールも、最終的には思わずくすりと笑ってしまうようなエピソードだが、自分が当人であった場合にどんなふうな気持ちがするか、まったくエミリーに同情する。

 モンゴメリーの作品では、個性的な主人公も素晴らしいんだけど、なんと言ってもおばさんたちが面白い。

 「赤毛のアン」のマリラが、実は影の主人公だという話があるが、マリラという人物像は本当によくできている。私は大人になってからは、アンの成長もさることながら、マリラのストーリーを、「赤毛のアン」のなかで追っている。

 エミリーのエリザベスおばさんや、リラで前面に出てくるスーザンも、モンゴメリーが作り出した人物として素晴らしいと思う。

 モンゴメリーの面白いところは、悪役もすごいというところだ。ジェーンのお祖母様のような人。悪の裏には、深い悲しみが潜んでいることも多い。現実の世界でも、恐らくそうだろう。

 モンゴメリーは、人間観察・理解に優れている。私にとってエミリーが面白いのは、登場人物が多くて、それぞれの人がとても上手に描かれているところだ。

ADHDの息子とASDの娘との朝の会話比較

 私が自室から出ると、オリオルがもう起きていて、シャワーから出てきた。

「おはよう」と私。

「おはよう!昨日のお母さんのサブウェイのサンドイッチ、まだのこってる?」

「うん、残ってるよ。ここ。」

「俺、もらっていい?」

「いいよ。」

「やったー!!」

「あ、でもお母さんの選んだ組み合わせ、イマイチだったよ。あんたのほどおいしくないかも。」

「うん。」食べ始めて、「いやーこのライトマヨ、すっごい美味しい。どうやって作るのかなぁ。」常にポジティブ。

そこで私と、マヨネーズライト談義。私はキッチンへ。そこで、昨日1日の洗い物がされずに残っていて、使ったフライパンが2つと鍋が一つ、作業台を占めていて、何もできないのを発見。昨日は遅くなって、夕飯をサブウェイにして、そのまま寝てしまった。

 私が皿洗いを始めると、もう食べ終わったオリオルがお皿を持ってきた。私のストレスフルな気配を察知してか、

「ああ、俺、今日3時に終わるから、皿洗いやっとくよ。」という。

「ありがと。でも少しはやらないと、お弁当箱も出せないから。」

「じゃあ、一番めんどくさいやつは置いていっていいよ。」卵の焦げ付いたフライパンをチラと見る。

「ありがとう、オリオル」

 オリオルはいい子だ。ADHDなので、帰ってみたら皿はあらわれてなくて、本人は外へ遊びに行っているということもあるが、いやその気持ちが嬉しい。その気持ちさえもらえれば、母は皿くらい洗うのよ。しかも、そんなふうに忘れると、「ごめん、今やるよ。」と言ってくれる。

 今朝は1時間後に授業が始まるんだったカッサンドラは、私が朝ご飯作りと皿洗いを並行してやっている最中に起きてきた。キッチンの私の真後ろに立って、「ねえ」と言う。

 カッサンドラは足音を立てないので、いつも「わあ!」とこっちはびっくりする。私は、「おはよう」と言う。それには答えず、

 「私の青いTシャツがない。」と言う。

「どの青いTシャツ?」

「買ったやつ」

「いつ?」

「一番最近。三回くらい着たら、その後もうない。」

「どんな青?」私は明らかにどんなTシャツのことを言っているのか思い出せない様子をしているはずなんだけど、カッサンドラは自発的に説明しない。たぶん分からないって分からない。

「濃い」

「どのくらい濃いの?」

「その牛乳のパックより濃い」

「どこで買った?」

「HM」

「どんなんだろう、全然思い出せない。ゆったりしてる?ピッタリしてる?」

「ピッタリ」

「半袖?長袖?」

「長袖」

いや、どんなTシャツかは想像できた。そんなの買ったっけ。

「最後に着たのはいつ?」

「ずーっと前」

「買ったのは?」

「知らん。一番最後に買い物行ったとき」じゃあそんな前じゃないんだが…

「それでカッサンドラは、誰か違う人の引き出しに入ってると思うの?オリオルのところとか?」

「お母さんのところ」

それをずーっと突っ立ったまま、微動だにせず、仏頂面で言うので、怒られているような、批判されているような気になる。

しかも私は朝の忙しい時間で、味噌汁を煮立てて、今まさに味噌を溶くところ。

「カッサンドラ、今母は忙しいから、あとでいい?」

「今日着たい」

 私はため息をつき、考えを巡らす。私のパジャマのTシャツに似ていそうだ。私は、私のパジャマの引き出しを見に行くくらいの時間はあると判断し、火を止めて見に行った。一瞬で見つかった。カッサンドラに渡しながら、こういった。

「カッサンドラは母を批判しているのだったら、もっと手伝ってほしい。そうじゃないなら、もう少しいい方に気をつけて。」

「批判じゃない。」と一瞬あってから、「ありがとう」

 今朝のカッサンドラとの会話は、これと、何かもう一つ、彼女に頼まれて出してあげただけだった。

 そして、バイと言って学校へ行った。

 オリオルは元気に、行ってきます!と言う。カッサンドラのバイは、うつむいて、こちらも見ず、まるで気づかれったくないみたいだ。

 後で気付いたがたぶんカッサンドラは今日、心配していた英語の劇の発表があるんだ。

 

 

人生の最後は、日本で?

 海外在住者あるあるだと思うが、人生の最後の方を、海外でそのまま過ごすか、日本に帰るか、迷う。仕事があったり、子育て中だったりすれば、子どもの学校や職場に縛られているから、あまり疑問を持たずに海外に居続けるけれど、子供の独り立ちが近づいたり、自分の還暦も近づいて引退という言葉も身近になってきたりすると、この後はどうするかという問いが、時々頭をもたげるようになる。

 それを考えるのに、何を基盤にすればよいかがよくわからない。私は、日本もフランスも好きだけど、どっちにも嫌いなところがある。ここのところ、どこから手を付けて考えればいいか立ち止まっていた。

 実家の家族も歳を取り、去年父が他界した。母は健在だが、地元にのこっている姉妹も、私同様そろそろ健康上や老後の心配をし始めた。頼っていくような相手ではなくなり、仲はいいから一緒に暮らすのもいいけれど、若い世代が一緒にいなければ、きっととても困ることも出てくるだろう。

 実家という選択肢は、便利というだけではなくなった。家があるのはありがたいけど。

 ただそういう物理的な利点だけで判断しようとするから、何を考えて決めていいか分からないんだと気付いた。

 私は、どこで死にたいかなと考えてみる。父の死までは、死ぬということの実感がなかったけど、親は死ぬときも何か子供に教えるものだなと思った。別に父にそんな意図はなかったのだけど、ああ、死ぬってこういうことかと妙に腹落ちした。

 そうなると、自分の死もちょっとは想像しやすくなった。

 その臨終のシーンを、どこで迎えたいかな。実家を想像すると、思っていたよりしっくりこない。私の作った私の人生の締めくくりを、仮住まいで終える気分がする。私はそこで育ったんだけど、18歳までの、まだ私が完全に私になる前だったから、あとはやはり母の家、姉の家という気がする。どっちも私が世界で一番好きな人たちだけど、私は私の終の住処と感じないようだ。まあ、今のところ。

 だから、もしフランスで次か、その次に落ち着く住まいがそうなるのかもそれないし、実家からそれほど遠くない場所で、日本に私の家が持てたら、そこがいいなと思う。そんなことはできないかもしれないいから、結局は物理的条件の整った場所を選ばざるを得ないかもしれないけど。

 そう思ったら、考えは一歩進んだ気がする。まだ何の結論もないけれど。

 

イースターマンデーの前の土曜日の朝

 イースターマンデーの直前の土曜日。私の住むパリ郊外の街の目抜き通り、レジスタンス大通りは、いつもの10倍くらい賑わっていた。いつも誰も入っていないように見えるチーズ屋さんやチョコレート屋さんに、お客さんがいる。孫を連れたおばあさんや、チョコレートの卵の袋を握りしめた小さな子の手を引いたお父さんなど、普段見かけないカテゴリーの人たちがアヴェニューを行ったり来たりして買い物をしている。

 明日のイースターの準備、みんな一生懸命やるんだな~と思う。基本白人系フランス人である。私は、子どもたちにちょっといいチョコレートの卵を、ショコラティエで買ったが、レジで袋を渡しながら、レジの女の子が、ボンヌ・フェットと言った。

 八百屋さんでは、苺が特売になっている。ピカールに行くと、今度は主婦たちでいっぱいだった。子羊のもも肉の塊や、イースターの食事のデザート、付け合わせのしゃれた副菜など、みんながっつり買っていく。私は、いつもの鯖と鮭とアスパラといんげんを買った。明日、デザートにチョコレートケーキを食べたいなあ。

メトロ、アンバリッドの罠

 昨日、メトロ13番線に乗っていた時のこと。シャンゼリゼ・クレモンソーで、5歳くらいの小さい男の子と、そのおじいちゃんが乗ってきた。白人系フランス人。おじいちゃんの風貌から、パリ在住者かなと思う。

 まあまあ高齢な方で、一瞬席を譲るべきかどうかと迷うが、元気な男性は幾つになっても女性から席を譲られることを遠慮する傾向があるので、様子見、と思って彼らの会話に耳を傾ける。

 駅名の書かれた掲示板を見ながら、おじいちゃんが、「アンバリッドって駅があるけど、そこでは降りないんだよ。次のヴァレンヌまで行くんだ。」と言う。小さな男の子は、「どうして?」と聞く。私はおじいちゃんが孫を連れて、アンバリッドの博物館に行くんだなと思う。

 「罠なのさ。」とおじいちゃんはいたずらっぽく答える。いかにもフランス人ぽい。そこで男の子は目を丸くてすっかり感心してしまう。「罠なの?メトロの人も、罠をかけたりするの?」と声を潜める。おじいちゃんは、ちょっと考えて、「わざとじゃないんだ。でも彼らはそんなふうに作ったのさ。」「みんな罠だって知ってるの?」「知ってる人も知らない人もいるだろうね。」

 そして間もなくアンバリッドに着いた。私は運悪く、というか都合よくというか、アンバリッドで乗り換えだった。私が立ち上がり、出口に向かうと、後ろから男の子の声がする。「おじいちゃん、アンバリッドで降りちゃう人もいるよ。罠にかかってるよ。」

 私は一人で超ニヤニヤしながら、メトロを降りた。

タイパと言えば掃除もね。

 最近、やっとわかった。そういうこと言ってるのいくらか聞いたことあるけど、という話だが、家事は運動になる。特にうちの場合、キッチンの床拭き。

 うちのキッチンは汚ない。忙しい私ワーキングシングルマザーが、毎日毎食自炊、10代の子どもたちも、適当におなかが空いたら自分で作るため、キッチンはいつも戦場だ。片付けはそこそこ、拭き掃除になど手が回らない日々だ。

 なので、週末気付くと床がすごいことになっている。誰かがこぼした何かのソースの点々の上に、猫の毛や埃がついて固まり、パンくずや野菜くずのチリがあちこちにあり、それらが何となく湿っぽく、あるいは脂っぽくうずくまっている。歩くと靴下が汚くなる…

 それを掃除するのが、前は非常に億劫だった。が、最近、考え方を変えてみた。いや、前から、家事をまめにすると運動量が上がるとか、言われているのは聞いていたし、それはそうだろうって思ってたけど、やっぱり実際の自分の生活でのトレードがないと、時間取られるしな、気力コスト高いよな、と思っていた。

 が、週末の起床時、週日やっている朝のちょっとした運動、微妙にめんどくさい。週末は努力が必要なこと、やらんでええやろ、と思ったりする。朝から買い物に行って、カッサンドラがダンスのレッスンに出るから、早めのお昼作らんといけんしね、と運動をスキップすることが多い。

 そうすると、当然その日の目的消費カロリーへの到達や、心拍数上昇の機会が少なくなる。それをチラチラと気にすることになる。

 が、そこで、あ、この汚い床の床掃除、雑巾がけしたらたぶんチャラだな、その上床きれいになって、ストレス軽減する、と思うと、一気に気力コストが下がる。きれいになった時の達成感が、気力や時間の犠牲の上に成り立っているという痛みを伴わず、やってやったわ、という爽快感になる。

 こういうちょっとしたマインドセットの積み重ねで、生活はほんの少しずつ整うんだなと思う。

実はタイパもいい「自力で買い物」

 ここ2~3年、カルフールのネット購入で配達を頼むのが、多少高くても効率のよい食料品の買い出しだと思ってきた。毎週、週末に一週間分の買い物をする。前もって一週間の献立を作り、リストを作り、まとめ買い。土曜日に配達してもらって、週末のうちに作り置きなどもする。
 ただ、やっぱりお店やマルシェで買うより高いし、品切れで届いてみてからないことが分かるものもある。買い忘れや、カルフールのネット上にはない商品を後で買い足したりすることも多く、合せると一週間180€くらいの出費になっていた。

 高いなあ、というのもあるし、時短になっているつもりが、足りないものを買い足さないといけないときは、なんだか時間もお金も損した気になる。

 フランスの郊外生活で一般的なのは、週末の買いだめ。毎日仕事帰りにスーパーによるという生活はしにくい。だいたいスーパーが閉まるのが夕飯の時刻に対して早い気がするし、街なかのスーパーは高くて品揃えもいまいち。週末に車で大型スーパーへ行くというのが一般的なスタイルだから、そのほうが安くて新鮮で、選択肢も充実している。

 ただ私は車を持たない生活をしているから、郊外在住でも大型スーパーには行けない。パリ市内なら、マルシェや小売店が、少々高めでも新鮮で充実しているからいいが、私は郊外でパリスタイル暮らしたがっているようなものだ。それであきらめてお金で解決、ネット購入で配達と決めていたんだけど、もっと楽しいことにお金を使いたくて、この秋から、自力で買い物へとシフトした。

 実は、それを思い切れたのは、お金のことも大きいが、実は、日々の生活で、運動時間が取れないという別の悩みと、カップリングさせて考えるようになったためだ。

 自力で買い物ということは、週に2~3回はスーパーやマルシェに歩いて行って、くそ重い荷物を持って帰ってくるということだ。スマートウォッチで測ると一目瞭然だが、実はそういう、買い物とか料理とか、掃除とか洗濯のような家事って、心拍数を何気に上げて、軽い運動をけっこうな時間しているという状態になる。去年のダイエットで落ちた基礎代謝を戻したいという目的もあり、買い物は、身体を動かす機会ととらえると、一石二鳥、いや、買い過ぎを防いだり、ネットより安いことが多いから、節約にもなるという一石三鳥で、私が自力で買い物をする理由が十分にある。

 朝あと15分時間取れたらバーレッスンとストレッチがゆっくりできるのに、とか、筋トレや有酸素運動ができるのに、とか言っていたが、カルフールのサイトの前でポチポチやるより、寒くても暑くても、外に出て買い物してくる方が、ずっと効率的に運動になる。
 同様に、通勤時も、時短と思って最寄りのトラム駅を利用するのが常になっていたが、駅まで歩いてみたら、案外時間的にはほとんど変わらない。駅まで遅刻しそうと思って走るほうが、うちの中で有酸素運動のユーチューブ動画一本やるより、気力使わず運動になっている。

 ということで、私は最近、あてにならないトラムに乗るのもやめて、次のトラムやバスを調べることもなく、最初から郊外電車の駅までの20分の道のりを歩くことにした。トラム駅まで行って待ったり、そこで故障だなんだと不通になっていたりして、ぶつくさ言いながらバス乗り場に移ったりするより、ずっとストレスレスで運動になり、しかも実が時間的にもそんなに変わらない場合が多い。
 ジム行って歩くより、コスパもタイパもいいよね、って、もちろん人から言われれば頭ではそうだと分かってたけど、実際やってみると、実感する。そういうこと言ってる人は、もう少し長い目で見ていたんだなと思う。今の3分を見てるわけじゃない。駅まで歩くと遅くなるから、スーパーに毎回行くと時間取られるから、と思って避けていたけど、実は、運動とストレス管理、節約といっぺんにできて、タイパもコスパも優秀じゃんと思う。

 ぐるぐる試して、結局普通なところに戻ってきた感じ。