衣谷の日記

フランス在住働くシングルマザー

ラインハルトとの16年間 ⑨自己愛にあった欠陥

 よく、PNの獲物となる人は、本人の自己愛に欠陥があると言われる。もともと、自分に自信がなく、人に頼りがちだったり、人の承認を必要とする人間である場合もあるが、タイミングもある、ということをよく聞く。

 例えば、新しい職場で、試験期間を乗り越えて正社員になりたい、あるいは、新しい恋人にかっこ悪いと思われたくない、新しい友人グループに気に入られたい、など、どこかに恐れがあるときなどがそうだ。

 私はもともと、個人的に自分に自信のないところがあったのも確かである。自分がいつもみんなから愛される、というふうには思えない人間だったし、ラインハルトと別れてから、自分が直感的に感じていることを正しいと納得するために、自分以外の誰か、できれば権威のある人、弁護士だとか精神科医のような人、に、私の考えを承認してほしいと思っていることに気づいた。ラインハルトの繰り返された欺瞞によるダメージで、それを必要としていた部分もあるが、確かに私には、普段からそういうところが少しはあったのかもしれない。

 

 さらにそれに加えて、フランス人から見ると、謙虚な態度をよしとされる文化で育っている日本人は、表向きは従順で自己卑下するので、自分に自信がないように見えたと思う。これは全くの誤解ではあるが。

 そのうえ、当時いつも外国人として扱われ、言葉も分からないことが多く、疎外感を感じていた。フランス留学を成功させ、生き残るには、言葉や文化の違いを乗り越えなくてはならないと焦っていた。そのためには、一人で机にかじりついて勉強してもすぐに限界が来る。どうあってもフランス人の中に溶け込んでいく必要があり、ぜひともフランス人の友達が欲しかった。

 

 さらに、一生の恋を終わらせたばかりで、精神的に参っていた。

 

 当時の私の心からの望みは、フランス人の中に入っていく扉を見つけることだった。そして、当時私が持っていた日本人の友達と同じような、心の通い合う仲間をフランス人の中に見つけることだった。

 そして、私がずっと心の中に持っていた一生の望みは、いつか結婚して子供たちを持つこと、家庭を築くこと、そして、興味深くやりがいのある仕事とその家庭生活、特に子育てを両立して生きていくことだった。その夢は、職業での成功を求める野心のように、はっきりと表に出て意識している夢とは違い、そのはっきりした夢の背後で、静かにずっと鳴っている伴奏のようなものだった。私には、それはあまりにも当たり前なことに思えたし、そうなるものだと思い込んでいたと言ってもいいかもしれない。だから、それを願望として意識してさえいなかった。

 

 これは余談だけど、実際それがその後、現実の中で私が何の準備もなく困難にぶち当たって、場当たり的に対応することになった訳を明らかに示しているように思うので、ここに書いておく。

 そのころ具体的に空想できたことは、私自身の父親がほぼ不在の成育歴のせいで、自分と子供関係が主だった。私は良い夫婦関係や、よい父親というのを、テレビや小説の中でしか見たことがなかった。私は、将来自分が子供たちに囲まれて暮らし、赤ちゃんを抱っこしたり、食事を作ったり、手作りのお菓子を焼いたり、習い事に連れて行ったり、慰めたり、励ましたり、一緒に笑ったりすることしか、想像しておらず、自分の将来の夫は、その絵の中にいるにはいるけれど、影のような存在だった。年をとっても仲がいい、チャーミーグリーンのコマーシャルに出てきたかわいい老夫婦のように、手をつないで散歩するのだ、それくらいの考えしかなった。

 

 私が思うに、ラインハルトは私がフランス人と友達になりたいという生き残りをかけた望みも、それとは無関係に私の中に存在していた結婚願望や子供・家庭に対する願望を嗅ぎ取っていたのだと思う。

 だから、何か唐突に思えたけれど、彼は私に、結婚を前提とした付き合いを提案したのだと思う。