衣谷の日記

フランス在住働くシングルマザー

ラインハルトとの16年間 ⑮付き合い始めのころのことと、ある晩の教会からの帰り道

 私たちは8月に付き合い始めたが、私はマリカちゃんと暮らし続け、ラインハルトは13区の小さなストゥディオとパリ東郊外の実家を行ったり来たりして暮らしていた。まだそのころは、私は彼の実家に行ったことはなく、どんな付き合いをしていたか、不思議なほどまったく記憶にない。

 私にとって、ラインハルトとの関係は、一部分を除いて、かなり表面的だと感じていたことは覚えている。というより、彼には掘り下げるべき深い悩みはないように見えた。その一部分とは、私の敬愛していたDL氏についてや、カトリックの神学についての話題であった。その二つは、他の誰とも共有できない、私の人生の根幹にかかわる大事なものであったため、ラインハルトは、その点においてだけでも非常に貴重な存在であり、新しい自分の人生の最重要人物として、十分に受け入れる価値があると思われた。特に、DL氏の理論や、カトリック神学は、私の自分自身の家族とは共有できないものだったので、それを私は自分の成長の延長線上にある、これから続いていく長い道のりのように感じていた。

 自分の家族が、自分という人間の基礎をなしていたとすると、私が一人で歩き始めたときに、その拡張・成長として善きものと考え学んでいたものの大きな一部分が、DL氏の理論であり、キリスト教神学であった。それは私の第二の哲学とでも呼ぶべきものだった。第一の哲学である実家のモラルや、基本的なものの考え方は、私にはあまりにも当然で空気のようなものであり、当時の若い私には、存在することにすら気づかない、意識されないものであったため、その価値は隅に追いやられていたかもしれない。

 そこを共有できることも、結婚相手を選ぶ重要な点であるに違いないのに、私は、拡張部分で共感できるのだから、基礎部分も同じであると勝手に思い込んでいたし、基礎部分は当たり前すぎて、重要視していなかった。

 それほど大事だと言いながら、その第二の哲学の話をするとき、具体的にラインハルトが何を言っていたのか、私は覚えていない。DL氏が素晴らしいということを心を込めて共感すれば(あるいはそう見えるようにうなづいたり、「まったくその通りだね」というような合いの手を入れれば)、私は私たちが深く分かりあっていると思い込んだのかもしれないし、また、ラインハルトが子供のころから慣れ親しんできたカトリック教会の説教や友人の神父の文言のそれらしいフレーズを諳んじれば、私は簡単に感動・感心していたのかもしれない。

 

 時系列的に言うと、これはもっとずっと後のことなのだが、私が自分が騙されているのかもしれないことに、おぼろげながら気づきかけたエピソードをここに書いておく。

 それは、私がラインハルトと付き合って3~4年目にもなるかと思う。そのころには、ラインハルトからカトリック的な名言を聞かなくなって来ていた。

 ある晩、私の教会での勉強会(カトリックでない大人向けのカトリック教育)の帰り、彼が発した数語の一フレーズに私がひどく感動したことがあった。残念ながら、そのフレーズ自体は忘れてしまった。

 それは、秋の宵も遅い時間で、空には星が出始めていた。そのころ、私が始めた教会での勉強会に、ラインハルトはいつも付き添っていた。付き添う必要などなかったし、付き添われている人も他にはいなかったように思うが、私はそれに何の疑問も感じず、ラインハルトと足しげく通っていた。ラインハルトは、何事にも私を自立させないように心掛けていたと今となっては確信しているから、この時もそのためだったに違いないが、ラインハルトは、すでに信仰篤い自分もぜひ参加したいと言い、教会の人たちはとても喜んで、「ぜひ参加して、力を貸してくれ」というようなことを言っていた。シスターやボランティアの人たちと、非カトリックの生徒の議論の間に、「みんなにもわかりやすいように」と口をはさんだり、終わった後に椅子を片づけたりするのを手伝ったりする彼に、教会関係者はいつも感謝していた。私は、そのような夫を持っていることを、ばかみたいに喜んでいた。

 その日の勉強会の帰り、教会の裏の古いでこぼこした石畳の上を歩きながら、左右の古ぼけた住宅の狭い庭に生えた木の梢の間を仰ぎ見て、私が、星がきれいだとかなんとかそんなことを言い、さっき学んだイエスキリストの教えについて、考えていた。そこへ、ラインハルトがきれいな一句を言った。星と神をたたえるような一句だった。私は、やっぱりこの人は、私の思っている通りの素晴らしい人だ、と思った。こんな素晴らしいことを言えるなんて。でも、そのフレーズは少し難しく、いろんな意味にとれるようなものだった。私は感激して、「あなたって、本当に素晴らしいことを言うのね。」と言って、深堀して質問しようとした。するとラインハルトは、喜ぶどころか、むすっとした。それが私には意味が分からなかった。ラインハルトは、「意味なんて知らないよ。僕は、○○ってカトリック詩人が言ったことを繰り返しただけさ。なんで自分がそんなことを言ったかもわからない。」と不機嫌に言った。私は、彼が自己卑下していると思い、「そんなことないでしょう?今の状況にぴったりのことを、引用してきたんじゃない。素晴らしいのに。ねえ、その前後はなんていうの?何を言っている詩なの?」と聞いた。本当に知りたかった。でも、彼は相変わらずつまらなそうにムスッとして歩を進めながら、「知らない。意味なんて分かるかよ。」というようなことを言った。それは私にはものすごく奇妙で、理解しがたい態度だった。

 今そのことを振り返ってみると、そのころには、ラインハルトは私のお守りをするのに、少し飽きていたのだと思う。スーパー彼氏の役をするのも嫌になっていたのだろう。だから、そのころには、彼のそういう発言も減っていたのだ。すでに結婚して籍も入っていたから、あまり努力する必要を感じていなかったのかもしれない。しかも、夜遅くまで集中して2時間も議論したり、祈ったり、話を聞いたりした後で、疲れていたのだと思う。彼の脳は、いつもすぐに疲れてしまうのだから。私のほうは知的に興奮し、楽しくて仕方なかったが、10分も座って話を聞いているとあくびをしまくり、イライラと別のことを考え始めるラインハルトが、あのころ、3年間も続いた夜のセッションを、一つも欠かさず私に付き添っていたのだから、どんなにか退屈で、どんなにかムカついていたか、想像できる。そういえば、セッションの後もさっきの続きを話したがる私を、ラインハルトはうるさそうにしていたことを、なんとなく覚えている。もっといろいろ話せるといいのに、私のフランス語が分かりにくいかしら?私が参加したがっているこのセッションは夜遅すぎるからかしら?と、私は自分が責めを負うことばかりいつも考えた。私は彼の口先の、「僕にとっても面白い」「教会の役に立てるなら」「君の理解を助けるため」というようなことを、そのまま無邪気に信じていた。だから、彼が本当は死ぬほど退屈していたことが分からなかったし、そうまでして私についてくる理由も、想像だにできなかった。

 

 久しぶりにそういう発言が聞けて私は、やっぱり間違ってなかったと思って喜んだのだけど、でも彼は、その詩人のことも知らないのか、と私を侮蔑したい気持ちも起きたし、それでもそうしてはいけないことがわかっていたから、そんな私の相手をするのは、超面倒くさかったに違いない。その時の態度は、「めんどくせー」という態度だと考えると、本当に腑に落ちるのだ。そうしてはいけないというのは、倫理的に、という意味ではなく、私に自分のマスクが剥がれてしまったら、まずいからである。

 

 ただそんなことが「騙している」ということになるだろうか?誰だって、恋愛の最初には、相手に近づくために相手の趣味を一生懸命勉強したり、知ったかぶったりするではないか。と、私は自分の頭の隅っこで思い、自分の、なんか変だなという直感のささやきを無視した。