衣谷の日記

フランス在住働くシングルマザー

ラインハルトとの16年間 ①前書き

 2年前、このブログを開いた。少しだけ書いて、結局続けられなかった。状況はどんどん変わったし、やはり私自身が、まだ自分の体験から近すぎて、感情に振り回されずに書くことはとても難しかった。

 

 今年の1月から、子供たちは正式に私のうちに住むことになり、交代監護は終わった。子どもたちは、裁判で決まった父親との面会に、まだ一度も行っていない。そのことについてはいつかまた詳しく書くが、そのように、まだ暮らしがすっかり落ち着いたわけではない。

 けれども、ずっと感じている通り、私は自分が体験したことを何かの形で表現する必要性を感じている。私の新しいカウンセラー、サラにも、書くことを強く勧められている。時間がないことを言い訳にしてきたけれど、なんとか時間を作ろうと思う。それは、私が去年から会っているカウンセラーたちとの会話で、完全にこの経験を乗り越えていくために必要不可欠なことと自覚し始めたためでもある。

 いまだに、そしてむしろおそらく前よりひどく、元夫からのメールやメッセージの着信を見るとぎくりとする。何を言ってきたんだろうと構える。心臓が早くなり、内容を知るまでは落ち着かない。内容を知れば、私の感情がさらに揺さぶられることも多い。

 

 私が思うように、元夫が本当に人格障害者であるなら、そしてそれがPervers narcissique(背徳的自己愛性パーソナリティ)であるなら、私は彼に対して、絶対に堂々と落ち着いていなくてはならないのに、今の私は、いまだに感情をからめとられているのである。それを断ち切るには、私自身の努力が必要なのだと、理解し始めたのだといえるかもしれない。

 以前の私は、誰か権威者に元夫に問題があることを認めてもらいたい、そうすることによってしか自分も子供たちも救われないと思っていた。それしか方法を思いつかなかったのである。しかし、ずっと眉唾ものだと思いつつ聞いたり読んだりしていた、それでもやめることなく、つかず離れず収集し続けた、Pervers narcissique(背徳的自己愛性パーソナリティ)についての情報から、そして私が相談したカウンセラーたちから、もし私がそうだと思うなら、Pervers narcissique(背徳的自己愛性パーソナリティ)への対処法のテクニックを学び、訓練し、使うべきだとわかってきた。私がそれをできなければ、親を見て世界とはそういうものだと学ぶ子供たちにはなおさら、Pervers narcissique(背徳的自己愛性パーソナリティ)的な父親に対応することはできないと言われた。確かに全くその通りだ。

 それに、もし私の見立てが間違っているにしても、私自身の心を立て直して、元夫であれ誰であれ、攻撃を受けたときに心が乱れないことは有用なことだ。もし私の見立てが間違っていて、彼がまっとうな人間であっても、私の心が乱れないということ自体は、相手に害を及ぼすようなことではない。むしろ話し合いを効果的に進めるために良い効果をもたらすことになる。もし私の見立てが間違っていて、実は、ただ私が慌てるからうまくいかないのだったとしたら、私が落ち着いていられるようになることで、元夫との間にもスムーズなやり取りが可能になるだけである。

 

 Pervers narcissique(背徳的自己愛性パーソナリティ)を相手にするときのコツというのは、いろんなところで紹介されている。それらのコツは、頭では理解できるが、実行するのはたやすいことではない。それは私が今だに精神的に彼の支配下にいるかららしい。私や子供たちの調子がよくなったのは、支配者に会わなくなったからで、支配被支配の関係が変わったからではない。

 「相手に感情を見せてはならない・感情的になってはならない」とか「目を伏せずにまっすぐ、物おじせずに相手を見ろ」とか「挑発に乗らず、事務的なやり取りに終始すること」とかいうことは、実際に感情的にならず、怖がらないでいることは、まだとてもできない。始めは形だけでもいいのかもしれないが、それでも非常に難しく感じる。そのために、私はまずは、私の心の中に溜まっている、彼の言動から引き起こされた後ろめたさや恥の感情を払拭するために、ここに書いていこうというのである。

 

 何度かノートやパソコンで、自分だけのために書こうと試みたけれど、書く内容がぐちゃぐちゃになりすぎて、頭が整理されるということがない。サラは、私に、「何のフィルターもかけずに、ともかく自由に書いて」と言ったけれど、私にはある程度の枠が必要だと思う。

 

 この独り言のブログは、一応ネット公開されるから、ある程度ちゃんと書くための枠としてよいと思い、ここに書いていこうと思う。

 ここでなら、自分にはもう分っていることだから、文章で説明するまでもないというような気持になったり、自分のノートに書くときは文章が成立していなくても、自分には分かるからいいや、といい加減になって、結局、言いたいことを全部言わずに終わったり、ということがないだろう。フィルターはなくとも、ちゃんと書かないと、テラピーの効果がないことを自分でも感じるので、余計にノートやパソコンに書くのは、私には難しい。

 たぶん、公開するからと言って、何かフィルターをかけるということは、私にはないように思われる。

 

 そして、これもサラに言われたことだが、子供たちのためにも、今私がどう考えてこのように行動したのか、いつか子供が大人になったときに探すに違いない答えを、書き残すという目的もある。それは子供たちが、いつか、「あの時お母さんは自分たちを一人で育てる決心をしたけど、私はそうでなかったほうがよかったかもしれないと今になってみると思う。どうしてそんなことしたのだろう?」などと思う場合、当時の私が真剣に考えて、私自身のキャパシティで理解できた範囲内で、子供たちにとって最善と信じたことをやったのだと、伝えられればよいと言われた。それは子供たちにとって、もし子供が違う考えを持っていても、なぜそうしたのかを理解する指標となる、人は時間がたつ間に変わるし、記憶もあいまいになり、書き換えられていくから、私自身も分かっているつもりでも、10年後、今考えていることを、子供たちに説明できるとは限らないから、と言われた。まったく、その通りだと思う。

 

 このブログの過去の投稿を見ると、編集した時のアップロードの問題なのか、なぜか文章がごちゃごちゃになっている箇所がたくさんある。それも今後時々直すかもしれない。

 

 これから時間のあるたびに書き続けるつもりで、この「フランス人元夫との16年間」のシリーズでは、できるだけ時系列にしたがって、私の心の中に折り重なっている、様々な経験、その解釈、経験から生じた感情を、一つずつ書いていこうと思う。

 

 元夫に出会ったのは1999年で、別居の始まりが2017年である。一緒に住み始めたのが2021年だったから、16年というのは一緒に住んでいた期間で、私の在仏期間が24年だから、私がフランスにいる期間の3分の2の時間、私は元夫と住んでいたことになる。