衣谷の日記

フランス在住働くシングルマザー

ラインハルトとの16年間 ⑩ペール・ラ・シェーズ墓地の散歩

 ラインハルトと初めて会った日から、付き合うようになるまでの期間はかなり短かった。3か月もなかったのではないかと思う。しかも、その間、おそらく数回しか会ったことがなかった。

 

 BHVで初めてデートのようなことをした次に会ったのは、ペール・ラ・シェーズ墓地だったと思う。

 この時は二人ではなく、同居人のマリカちゃんと、その服飾学校の友達が一緒だった。その子はフランス人で、エロアンヌというかわいい名前の子だった。ボーイッシュで、髪をベリーショートにして、パイプを吸っていた。後で分かったことだが、彼女は同性愛者で、マリカちゃんのことを好きだったようだ。マリカちゃんは最初それをわかっていなかったが、マリカちゃんのほうでも、友達としてエロアンヌに夢中だった。彼女にとっても、初めてできたフランス人の友達だったような気がする。エロアンヌは、かっこよくて芸術的で、個性的だった。結局、マリカちゃんが同性愛者ではないことが分かっても、二人はずっと友達だった。

 

 だからこの日は、あいまいな関係の二つのカップルが、散歩に出かけたということだった。

 マリカちゃんとエロアンヌは二人でぶらぶらしていたので、私はラインハルトと主に並んで歩いていた。

 

 ペール・ラ・シェーズは、ラインハルトの得意分野だった。私に、入口のところで地図をもらうんだ、と説明した。そんなことは決まりでも何でもないが、彼はそれをまるで非常に大切な決まりごとであるかのように、あるいは、私が小さな女の子であるかのように、「ここではこうするものなんだ」と教え込むような言い方をした。

 今思えば、彼の態度はいつも私に、自分が小さな女の子になったような気分にさせた。5歳くらいの。それでいて、私はいつも、ラインハルト自身は本気でそのことを信じており、例えば墓地のことで言えば、入口で地図をもらうというのが、何か神聖な絶対不可欠なことと思い込んでいるような印象も持った。彼自身が、小学生のように単純に、ある時大人に言われたことをかたくなに信じ込んでいるかのように。

 

 マリカちゃんたちは地図など取らなかった。そして自由に歩き回っていた。

 私は、ラインハルトの気を悪くしては気の毒だと思い、彼が「ここが誰々の墓だ。」と言って回るのに付き合った。

 ラインハルトを長く知っている人はみんな知っていることだが、ラインハルトはペール・ラ・シェーズで、地図を片手に墓を説明して回るのが好きだった。彼の友人の中には、それをうるさがっていやがる人もいる。彼は、墓地というものがどれも好きなようだったが、特にペール・ラ・シェーズが好きだった。起伏があって、風景がいろいろに変わり、木が生い茂っているから、というようなことを言っていたと思う。

 だから、私はラインハルトといた長い年月の間、何度かペール・ラ・シェーズに行った。ラインハルトの親戚や、遠くから来た友人のパリ観光に付き合うときには、ラインハルトがペール・ラ・シェーズをそのコースに入れたからだ。そのたびに同じ説明、同じコメント、同じギャグを言ったが、私はそのどれ一つも思い出せない。

 

 私は今は、ペール・ラ・シェーズにショパンが眠っていることを知っているが、それはオリオルがショパンを好きになった後だった。ラインハルトがなぜ、ペール・ラ・シェーズを好きだったのかということを、今考えてみれば、たぶん、その地図に名前と墓の位置が書いてある歴史上の人物、文化人、政治家、有名人などについて、自分の豆知識を披露するのが好きだったんだと思う。浅い広い知識は、私にはまったく面白くなかったが、その時聞くだけであれば、私であれ誰であれ、その場では「ふうん」と思って聞いた。その日の夜には忘れてしまうようなことでも、そこを見て回っている間は、みんなラインハルトの話を聞くでもなく聞いている。

 親切な人は、一生懸命質問までして面白がって聞いてくれ、ラインハルトに、骨を折って自分たちの観光に、こんなマイナーかつ興味深い場所を組み入れてくれたことを感謝した。

 

 その初めてペール・ラ・シェーズに行った日、ランハルトがなにやら文学者の墓を私に見せて、その文学者の話をした。誰だったかは記憶にない。フランス文学は、私はほとんど知らない。サンテクジュペリとサガンくらいしか、読んだこともなかった。

 今思えば、おそらく、フランスの国語の教科書に出てきて誰でも知っているような文学の話だったのかもしれない。でも、当時の私には、知的な話に聞こえた。私は、「あなた、文学が好きなのね?私はフランス文学はわからないけど、文学は好きだわ。ロシアとかアメリカのなら、日本文学以外も読む。翻訳だけどね。」というようなことを言った。そうすると、ラインハルトは一瞬妙な間があって、無表情に、そしてぶっきらぼうに、自分は文学が嫌いだといった。自分が好きなのは、歴史だ、と。そして、小説とかそういうものは全くわからない、と言った。

 その言い方は、怒っているようにも見えた。小説や文学か、それにまつわる何かへの憎悪を感じた。そして、その怒りから、それを踏みにじろうとするような、罵倒しようとするような、そんな感じも受けた。そして、同時に、文学を好きだといった私の気持ちも、少し傷つけた。でもそれは、非常に微かに感じただけだったので、その妙な感じの背後に何があるのかわからないまま、私は驚きながらもそっと許した。