衣谷の日記

フランス在住働くシングルマザー

ラインハルトとの16年間 ⑥ 学食での再会

 私は、最初にDL先生のことを話したメトロの中で、「とても興味はあるが、授業ではフランス語が難しくてついていけない」というようなことを、ラインハルトに言った。別に相談をするつもりもないし、何かの助けを求めるつもりはなく、事実ではあったけど、ただその場の会話の一部として、そう言った。そのとき、ラインハルトは、「だったら手伝ってあげる」というようなことを、あっさり言ってのけた。

 

 一週間もしないうちに、私はラインハルトに学食でばったり会った。私は韓国人の男の子たちのグループと一緒に学食に来ていた。彼らとは文化的に近いから、やはり一緒にいて楽だった。午前中の授業が一緒だったから、そのまま一緒に学食に来たのだが、午前中まるまるフランス語を聞き続けて、授業だけで皆疲れてしまっていたから、なんとなく無口だったし、たまに口を開いても、韓国人同士で韓国語で話すことが多かった。私も、わざわざ話に割って入るつもりもなく、ただ、一人で食べるのはなんとなくいやだから、一緒にいたに過ぎない。

 学食のセルフサービスでお盆を持って列に並んでいるとき、後ろから元気な声でラインハルトから声をかけられた。「リンじゃないか!元気かい?」名前を覚えていて、そんなふうに屈託なく声をかけられれば、少しめんどくさい気もしたが、それなりにうれしかった。韓国人の子たちと、むっつり黙って食事することになるところだったから、少し救われたような気もしたかもしれない。私たちは、韓国人の子たちと一緒に、テーブルの端に一緒についた。

 ラインハルトは、その日の学食メニューのメルゲーズのことで、冗談を言った。羊と牛のひき肉でできた、香辛料の効いたソーセージは、アラブ系の食べ物だ。それを、今思えば、アラブ系の移民への差別的な侮蔑の意味を込めた冗談だったと思うが、当時私は、アラブ系二世のフランス人と純粋フランス人の区別もつかなかった。メルゲーズがアラブ系のものだということは知っていたが、すでに二世の世代になっているにも関わらず、なお根強いアラブ系の移民への人種差別問題にも疎かった。

 名前にしてもそうである。今でこそ、フランス的名前やアラブ系の名前の区別が多少つくが、当時はどちらもただ「フランスに住んでいるフランス人」だった。

 ラインハルトが、何の授業だったのか聞いたので、「ロドリゲス先生の」と答えると、「ロドリゲスか」と言って、メルゲーズ・ロドリゲスとか、なんかくだらない冗談を言った。ロドリゲスというのも、スペインかポルトガルからの移民かその子孫の名前である。だから、移民のことを、そんなふうに茶化したのだ。

 私は全然意味が分からなかった。文面の意味ではなく、なぜそんなことを言うのか、何が面白いのか分からず、ただバカにしているようだと思ったので、「ロドリゲスの授業は、本当に面白いわ。あなたは嫌いなの?」と聞いた。それは本心だった。

 ラインハルトは全く悪びれず、堂々とした態度で私の前に座っていた。「まあ、興味深いことは興味深いね。でもあいつらは、ロドリゲスや君の好きなXGのことさ、あいつらはこの学問の何たるかを何もわかっちゃいない。そこへ行くと、DLは素晴らしいさ。…ちぇっ!せっかく学食に寄ったのに、メルゲーズとはね。でも、リンに会えたからよかった。」

 「メルゲーズって、おいしいじゃない。嫌いなの?」私は、ばかみたいに同じことを言っていた。

 「いや、大好きだよ。結構いけるさ。でもリン、メルゲーズはクスクスと食べるもんなんだ。アラブの食べ物だからね。」ラインハルトは、自分の皿を両手で囲むようにして私に文明講座をして見せた。そこには、メルゲーズとクスクスがたっぷり盛られていた。私は、メルゲーズに、ライスと野菜の煮物を取っていた。単純に栄養バランスを考えて取っただけだったし、メルゲーズは普通クスクスと食べるということは、当時でも知っていたと思う。そこになんとなく、変な行き違いのようなものは感じたけれど、ニュアンスの伝わりにくい外国語で話している私には、そのくらいの違和感は、無視すべきもののように思われた。

 その後、ラインハルトは、ロドリゲスやXGが、いかに自分をこき下ろし、お気に入りの学生と差別したかを私に語って聞かせた。私は、その二人から「お気に入りの学生」扱いを受けているということになるなと思いながら聞いた。

 だがそのうち、話がDLのほうへ向かった。今思えば、ただの聞きかじりや、DLのセリフの受け売りだったが、ラインハルトは、いくつか私を納得させるような学問上の良いことを言った。そういうことを理解している友人は、ここにいる優秀な韓国人たちの中にも、私の同級生にもいなかった。私はその点でひどく感心してしまった。こんなにも単純で、ごく普通の知能を持っていそうな人が、実は物事の真実をつかんでいて、だからこそ、DLとは釣り合わないのにDLの友情を得ているのではないかと、そんなふうに私は想像した。

 ラインハルトは、再度私に、「DLの授業で分からないことがあったら、手伝うよ。」と言った。そのころは学年末で、私はDLの授業のレポートを出さなければならなかった。そこで、レポートの下書きを見てもらう約束をして、その日は別れた。

 そのラインハルトの申し出は、私にとってはありがたいことだったし、頼みもしないのに自分からそういうことを言ってくれるのは、ちょっとずれているけど、面倒見のいい親切な人なのだと解釈した。ラインハルトは、私のアパートに来ると言ったが、私はマリカちゃんと同居していたから、男の子を自宅に上げるのに別に抵抗はなかった。

 

 そのうえ、その日の学食での会話は、いつもどうしても不自然になってしまうフランス人学生との会話とは違って、とても普通だったように思えた。ほかのフランス人学生だと、初めて見る日本人をどう扱ったらいいかと困っているのが目に見え、言葉が通じにくくて気まずい思いをすることが常だったのに、ラインハルトは全く構えることなく、私に質問したり、かみ砕いて説明したりした。私は、フランスで初めて、日本好きではない普通のフランス人の友達ができたような気がした。