衣谷の日記

フランス在住働くシングルマザー

ラインハルトとの16年間 ⑯ペルチエ家の長女

 私がラインハルトと付き合い始めた年、ラインハルトの上のお姉さんブランディンは妊娠していた。ブランディンは、ラインハルトより8つ年上だ。

 ラインハルトのペルチエ家は、お父さんクロード、お母さんフィノメナ、上のお姉さんブランディン、下のお姉さんコリーヌの5人家族で、ラインハルトは末っ子で一人息子である。

 8つ年上のブランディンの次が、6つ年上のコリーヌで、私はコリーヌの一つ年下だ。ラインハルトから見ると、私はお姉さんたちと同世代に近い。

 女の子二人ですでに満足して暮らしているときに、計画していなかった3人目を授かって、それがラインハルトである。ラインハルトの家族については、また詳しく書くことになると思う。

 

 ブランディンは当時、ティエリという同じ歳の男性とパリの小さな一軒家に暮らしていた。ブランディンの最初の彼氏であり、そのまま同棲し、結婚という形はとらずに二人の娘を儲け、二人目の子が5歳の時に別れた。ブランディンは今もそのまま一人身である。

 この年ブランディンのおなかにいたのは、一人目のマエルだった。

 

 その年のクリスマスの時期、私は日本には帰らなかった。でも、パリで過ごすクリスマスや年始も楽しく、私は、フランスに家族がいないことをさみしいと思うことはなかった。フランス人はみな、クリスマス時期は家族とともに過ごすので、ラインハルトから見ると、私やマリカちゃんが、家族のいないフランスでクリスマスを過ごすことに、違和感を感じるようだった。

 ラインハルトは私に、今回はまだりんを紹介しないが、そのうちきっと連れて行くといい、自分だけ家族のクリスマスへ行った。

 彼の実家は、パリ西郊外のアシェールの一軒家だったが、それは私の実家のように、お祖父さんの世代に大工が建て直した先祖代々その土地にするんでいるような家ではなく、ラインハルトの両親が、上のお姉さんたちが巣立った後に購入した新築の建売住宅だった。区画整理して同じような家が計画されて建ち並んでいる小規模な新興住宅地で、駅から近かったが、町には郊外電車の駅とスーパーしかないような場所だった。

 

 そのクリスマスのお祝いを実家で過ごした後、ラインハルトは、お姉さんのブランディンの写真を見せてくれた。当時まだフィルムで撮って焼かなくてはならなかった。ラインハルトは、大きめに焼いた自分が撮ったブランディンの写真を見せた。それは、ブランディンの腰から上全体を斜め横から撮った写真で、ブランディンは形のいいベリーショートの頭をしゃんと上げて、微笑んであちらを見ている。たぶん、ラインハルトが、横を向けと言って取った不自然な体勢だからだと思うけど、当時は、なんだか私に見せるために、標本みたいに撮った写真のように見えた。大きく印刷する価値のないような。ラインハルトが横を向けと言ったのは、妊娠したおなかのカーブを撮影するためである。

 ブランディンは、私がラインハルトから想像したような女性では全くなかった。ラインハルトは、「姉さんはいつだってスリムだったんだけど、妊娠すればこんなになるんだ。」と言った。妊娠して変わるのは、おなかが膨れることだけだという認識は、日本人のものであるが、フランス人女性は妊娠してものすごく太る人も多い。ブランディンが、それ以前どのような体形をしていたのか分からないが、その写真のブランディンは、決して太っていなかったし、何ならラインハルトよりは締まって見えた。でも、そのラインハルトの言い方は、ちょっとおかしかった。「こんなざまだ」と喜んでいるかのようでもあった。その割には、全然そんなざまではないのが、なんだかずれていておかしかった。子供を授かるということを、あまり真剣にはとらえていないように聞こえるのが妙だった。

 ラインハルトの、姉の妊娠という出来事への反応は、細くてかっこよくて威張っていたお姉さんが太った、やーいやーい!とでもいうような、子供っぽいくだらなさを含んでいた。うわべでは人並みに喜んでいるように見せていたが、ティエリへの嫉妬も隠さなかった。私に、「あんな奴の…」というようなことも言った。自分と同性の義兄弟を嫌う人は多いが、その言い方に私は、何かプリミティブな汚らしさのようなものを感じた。

 私は、そういうもろもろの自分の印象を自分に対して隠した。そういう、他人の言動に隠れる無意識のメッセージを、私は読み取るのが得意だったし、面白いとさえ思っていた。でも、ことラインハルトに関しては、私はその薄っぺらいプラスチックの商品パッケージのような、やけにつるつるして、そして分かりやすいようにはっきりした色で印刷された大きな字の商品名や売り文句のような「外面」を、剝がしにかかることをしなかった。そのさりげなく押しの強い広告ような、耳障りのよい名前、言葉、よく目を引き皆から認知されるパッケージは、今思えば、簡単にペリッと剥がすことができるようでありながら、私はそれに手を出すということをしなかった。

 おそらく、それをしてしまうと、自分も困ってしまうからだったに違いない。

 

 さて、ブランディンは、美人であか抜けていた。その形のよい頭と、小さな上品な鼻と口、細いあご、バランスのよい目にシンプルなアイラインだけで上手に効果を出していた。妊婦でもおしゃれなパリジェンヌたち同様、服装もきれいだった。こんなきれいで、まともなセンスのありそうな人がラインハルトのお姉さんとは、信じられないくらいだった。ブランディンはいかにもパリジェンヌらしく素敵に見えた。

 

 ブランディンは、パリ郊外の香水のメーカーで働いていた。かなりいいお給料をもらっているという話だったが、彼女の職場での地位や仕事の内容については、誰も知らなかった。みんな、ブランディンは公私を分けるし、友達も混ぜないとよく言った。そう言われても、ブランディンは口を閉じて「うん」と言うだけで、否定も肯定もしなかったし、弁解もしかなかった。そして落ち着き払った(ように見える)目で、そう言った人をちらりと見て、たいてい彼女がそうしているように、伏し目になって、手元のカップやデザートの皿を見た。もちろん、このころは、私はそんなことは知らなかったが。

 

 ブランディンは、二人の娘のうち、母フィノメナのお気に入りである。たぶん、美しいからだと思う。フィノメナについて詳しく書かないと、このことは伝わりにくかもしれないが、フィノメナにとっては、ブランディンは自分の分身である。フィノメナは、自分もブランディンのように美しく、あか抜けていると考えているようだが、実際は、フィノメナに一番似ているのは、ラインハルトだと思う。

 

 とにかく、私が最初に見たラインハルト以外のペルチエ家のメンバーは、この写真のブランディンだった。彼女の印象は、今日にいたるまでほとんど変わらない。私たちは、会えば話をするけれど、特に深い話をしたことはない。彼女は静かで、あまり笑わず、自然に気取っていて、パリ言葉を話し、クールで冷たく、表面的だ。厳しく、自分の意見をはっきり言う。それでも私は、時々この人は、外国から来たこの違いすぎる相手をどう扱ったら自分がそれらしく見えるのかと、私のことを持て余しているような、恐れているような、そんな印象も持っている。

 

 会えば別に何事もなかったかのように私とも話すが、離婚後、彼女はそっとSNSの私の友達の輪から抜けた。