衣谷の日記

フランス在住働くシングルマザー

ラインハルト との 16年間 ⑫  サッカー観戦をした日 のことを 考えてみる

 それまで 二人で 会っていた時には 手をつなごうとか肩を抱こうといったようなそぶりを全く見せなかったラインハルトが、 突然 サッカー観戦をした後の散歩で、 あんなふうにしつこく私につきまとった理由について、 先日書いてみて初めて気が付いたことがある。

  少しお酒が入っていたということもあるかもしれない。 でもそれよりも どうも変だったことは、 私がほかの 友達とはほとんど何の交流もなかったということである。

 ほかの友達と交流できなかった理由を、私はこれまで、 自分の コミュニケーション能力の 低さが主な原因であったと 考えてきた 。国際的なグループの 中で 、言葉や文化の壁を 自分が うまく乗り越えられないからだと思ったのである。

 でもおそらくそれは違うだろう。私は同時に、 ラインハルトから「 囲い込まれて」いたみたいに感じていた。ラインハルトが、 そもそも このサッカー観戦を企画した 目的は、 私を「囲い込む」ことだったのではないかという気がする。目撃者のいる場所で、既成事実を作りたかったのではないかと。

 もし、 ラインハルトが私と 特別な関係になるきっかけを つくりたかったのであれば 別にあんなにたくさんの私の知らない友達を 招く必要はなかったのだ。 ラインハルトは私に新しい友達を紹介してくれる と言ったのに、 実際にはひと言も口をきかなかった相手がほとんどだった。 結果的に、みんなの前で、 ラインハルトは 私を 自分の所有物のように 披露した ような形になった。友達に 自分とこの日本人の 女子学生が 特別な関係であることを 見せて、 私たちの関係を 社会的に、 外側から 決定しようとしたように見える。私は、自分の思っていたのと違う立場に立たされ、衣谷りんとしての存在危機を感じたのと、ほかの友達と交流できない自分にコンプレックスを感じた。 意識的にしろ無意識的にしろ、それが ラインハルトの目的だったのではないかと思う。

 また、ラインハルトには、私がラインハルトと 二人だけで会う事を 断るかもしれないという危惧もあったのかもしれない。 なぜなら、私はラインハルトを恋人にするつもりはなかったし、そのことはきっと、 ラインハルトにも 感じられたに違いなかった。 私が、 フランスで新しい友達を 喉から手が出るほど欲しがっていることを、 ラインハルトはよく知っていた。 だから、 ほかの人たちが来ると言えば、 私が断らない ことは 明らかだった。

 

 そのように、二人の人間関係を、内側からではなく、外から規定しようとするやり方は、 当時の 私にとっては 非常に奇妙なことであったから、 とてもそのようなことに 気づくことができなかった。 でも今 自己愛性人格障害者のことを色々と勉強 してみて、 やっとわかるようになったが、 ラインハルトのような 自己愛性人格障害が ある者にとっては、 当然の やり方だったかもしれない。 彼らには、外面しか存在しないのだそうだから。

 

 私にとって奇妙で理解しがたかったのは、私たち二人の間で 合意があるかどうかということは 彼にとってはどうでもいいことだったということだ。 それが大事なことであるということを、彼にはわからないのだが、それは、普通の人間にとっては、非常に奇妙なことである。

  私が そうしたいのかどうかという 私の意思について 彼が自問したり、尊重したりするということ 全くなかったのである。 私の言っている やめて」 という言葉は、 彼の頭の中には入らなかった。

 そのうえ、 それがわからないということが、 私には全く分からなかったから、 彼の 行為を 私は私なりの考えで説明しようとした。それは結局全然間違っていて、その後十数年、私は間違え続けたのだけど。

 私の説明とは、「フランス人だから押しが強い」、 「『やめて』では通じないが、 どういう言い方をしたらいいのかがわからない」、 そして結局 私は自分のコミュニケーション能力や 文化の壁を越える力の無さに、 この誤解が 起因しているのだと 考えた。

 それがまさしく、 自己愛性パーソナリティ障害のある人に 絡め取られ、 犠牲者となりやすい 人間として よく紹介されている 人の性格にそっくりである。 つまり、 相手の おかしな行為に わざわざこちらから それを正当化するような言い訳を付けてあげたり( この場合、 「フランス人だから」)、 問題があるのは自分の方である と考える 自省 の傾向が強かったりすること( この場合、 相手の思いやりのなさや 理解しよう、相手の意思を尊重しようという気持ちのなさ については全く考えず、自分の 能力の無さ が問題と考えたこと) である。

 そういう心理学分野での研究と、自分の傾向の一致については、 34年前から気がついていたが、 最近さらに思うのは、相手ではなく自分に問題があるのではないか と考える人間には、色んなタイプがいるのではないかということだ。

  少なくとも二つのタイプのことを、今私は考えている。

 一つは、 自分に自信がなく、 何か問題があれば それは自分のせいなんだと思うタイプ。 これもよく言われることだけれど、 自分の親が 自己愛性人格障害があったり、 その他の人生のいろいろな問題のために子供の 心を尊重 できなかったりして、 子供が 責められながら 育ったりした場合、 たしか 依存性とか言うんだったと思うけれど( 全然違うかもしれない)、 自己愛性 対になるような 性格、 お互いに 補完し合うような性格の持ち主である。支配型の自己愛性人格障害者の対で、被支配型の人格である。親が自己愛性障害があった人が、将来自分の伴侶に、自己愛性障碍者を選ぶことが多いという話は、有名だ。

 けれども、 私はおそらくこのタイプではないと思う 中間子で、 姉や末っ子の妹 に比べて あまり可愛がられずに育ったというような自覚はあるけれど、 中間子は中間子で 良いことがいろいろあった ということも自覚していた。 私は、 姉と 妹と それぞれに特別な関係を持っていて それと同じ関係は姉と妹の間には存在していなかったことを知っている。 私は姉の秘密と妹の秘密を知っているけれど、 姉は妹の秘密を知らず、 妹は姉の秘密を知らない。 それは大した秘密ではないし、今となってはみんな忘れてしまったけれど、 子どもの頃の私の自尊心を 満たすには充分であった。 母と私の間も、 私の姉妹と母との関係 とはちょっと違っていた。 私の姉妹と母との関係は、 ごく普通の親しい良い親子関係 であり、 母と私の間には、 特別な共感関係があるように思っていた。 今でもそうではないかなと思う。そして私には、私を特別扱いしてかわいがってくれた素晴らしい祖母がいた。

 私は、自分には自分の居場所があると感じていた。多少、次女らしい依存的な部分や、被支配の立場を楽だと思う傾向はあるかもしれない。それでも、 私には、自己愛性人格障害者に育てられた子供ほどの大きな生育歴の問題はないように思われる。

 私が今まで会ってきた幾人かの心理学者やカウンセラーも、それには同意している。

 

 当時、一時的に、フランス社会へのアクセスができないことについて過敏になっていて、「それは私の能力不足のせいだ」と考えやすくなる傾向は強く持っていた。そこを、自己愛性背徳者の理論を展開する心理学者たちであれば「ラインハルトがうまく使った」と言うだろう。もっと公平な言い方をすれば、ラインハルトには、あるものは使うというふうにしか考えられないのだから、単にお互いの誤解だったということもできる。

 私は、自分のせいでラインハルトは私の気持ちを理解しないから、これからなんとかしなくてはと思い、ラインハルトは、私がラインハルトを切ってしまわないのだから、これでいいんだと思った。

 私がその時ラインハルトから完全に逃げてしまわなかったのは、まずは問題を解決したかったからである。もともと私は問題を解決するのが好きだ。それは、よりよくなれると思うからだ。自分に問題があるのではないか、と私が考えるのは、私は今その能力に欠けている、だが、これから自分がその能力を身につけて、この問題を解決しよう、と思うからだ。そして、私は自分がその能力を身につけられると信じるから、それに手を出すのだ。たぶん、できないと思うことは、自分でやりたいと思わないのじゃないかと思う。

 あの時私は問題を見間違っていたから、できると思って手を出した。もしあの時、問題の真相を知っていたら、やらなかっただろう。

 

 私は自分が、自分に自信のない、捕食者の標的になりやすい弱い獲物であるとは思えない。ただ、全然違う目的が、たまたま変なふうにかみ合って、歯車が回り始めたのである。

 それにしても、私がそれに気付かなかったのは、やはり非常にナイーブで、自分の心を守ることを知らず、その必要がある場合もあることを知らなかったからである。

 私はそれを学べる機会を与えてくれたことで、ラインハルトに、ある意味感謝している。ラインハルトに出会わせてくれた神さまに、感謝していると言ったほうがいいかもしれない。そして、ラインハルトと私だけなら彼を悪者にすることで私の中で終わったに違いないストーリーを、最後まで正しく理解しようと努力させてくれる、私の子供たちにも感謝している。