衣谷の日記

フランス在住働くシングルマザー

ラインハルトとの16年間 ㉒下のお姉さんコリーヌ

 これはコリーヌの話というより、フィロメナのことを書くために、コリーヌのことを書いているようなものだ。

 私は、コリーヌがペルチエ家で最も健全な人だと思う。私が今でも直接の関係を保っているのは、コリーヌとクロードだけである。

 

 コリーヌの容姿はブランディンによく似ていたが、よく似ているだけに、比較すると、どうしてもブランディンより見た目では引けを取った。コリーヌのほうが少し小さくて、愛嬌はあるがブランディンのような整った美人ではなかった。だから、二人姉妹で一緒にいれば、コリーヌが3枚目役を買って出ることが多かったのだと思う。特に、母フィロメナが、ブランディンの美しさを崇拝していたからなおさらである。

 

 しかしコリーヌは、非常に賢かった。小学校低学年の時、担任の先生にIQテストを受けることを勧められ、かなり高いスコアが出たために、飛び級を提案された。しかし、親は、同じ年の子供と一緒にいるのが一番、と、その申し出を断った。

 私はその話を後になってコリーヌ本人から聞いた。彼女は彼女らしい愛くるしい笑顔で笑って、そんなこともあったのよ、と言った。

 いつか、私がフィロメナと話していた時に、コリーヌの博士号の話題になったことがある。コリーヌは、物理学の博士号を持っているのだ。私はそれについて詳しく知りたくて質問したのだけど、フィロメナは、うちの娘は二人とも、別にもともと頭がいいとかそういうんじゃない、ただ、とても努力家なのだと言った。小さいときからそうだった、二人ともよい成績だったけど、それは努力したからだ、と。

 その意味が私にはよくわからなかった。まるで生まれつき頭がいいのは、悪いことみたいだった。しかもコリーヌの博士号については、何の返事にもなっていなかった。

 コリーヌから、彼女がよいIQを持ち、飛び級するほど賢かったという話を聞いた時、あんなにも自慢話の好きなフィロメナが、どうして今まで私にその話をしなかったのだろうと疑問に思った。なんとなく、フィロメナは、コリーヌが生まれついた才能を持っているということを、認めたくないような気がした。でもどうしてそうなのか、よくわからない。今でもよくわからない。

 

 フィロメナは、どういうつもりでそんな話をするのか私にはわからない話をいくつもする。そのうちの一つで、妙に引っかかるものがある。

 それは、コリーヌが生まれた時、その彼女の新しい赤ちゃんを病院から連れて帰って、よくよく見てみると、右の耳と左の耳の形が違っていることに気づいた、という話だ。フィロメナは泣き出してしまった。午後じゅう泣いているフィロメナに、クロードが、もしそんなに心配なら医者に行ったらどうだと言い、フィロメナはコリーヌを医者に連れて行った。

 医者は、フィロメナに、人間というのは完全に左右対称ではない、誰だって左右が多少違うものだ、コリーヌは正常だ、と説明して、それで納得して帰ってきたというのだ。

 その話の何が面白いのか、私にはさっぱりわからないのだが、このエピソードは時々語られ、なにやら楽しそうなのである。

 医者に意見を聞け、というのは、ペルチエ家の家訓みたいなものだ。医者に限らず、自分たちで判断せず、なんでも専門家に聞く。もしかすると、ベビーシッター時代にフィロメナがルフェーブル夫妻から仕込まれたことなのかもしれない。私は当時はそれ以上考えなかったが、今ならこう思う。ルフェーブル夫妻は、子供を見てもらっている間、何か変わったことがあったら、フィロメナが自分で判断せず、必ず医者に連絡するように、厳しく言って聞かせたに違いなかった。フィロメナは基本的にイニシアティブを取る人間だが、よかれと思ってものを知らないスペイン娘がやったことが、我が子たちに害を与えてはならないから、「そういう時はこのドクターに連絡しなさい。自分で勝手に判断しないこと」と言われただろうと、想像がつく。それを今でもずっとやっているし、ペルチエ家の子供たちもそれを踏襲している。だからラインハルトは、どんなに明らかにわかりきっていることでも、医者に聞いてからでないと子供の病気について、私に何もさせなかった。それはもう何度もやっているノロだから、病院に行っても仕方がない、やり方はわかっている、と言ったって無駄だった。「お前は医者じゃない。」

 私は長いこと、それはフランスの風習なのだと思っていた!

 

 さて、話をコリーヌの耳に戻すと、これも最近になってやっとそういうふうに思うようになったのだけど、耳の形が左右違う赤ちゃんは、フィロメナにとっては不良品だったのだ。だから、泣いた。「私のもらったお人形は壊れていた」みたいな感じだ。これは非常にきつい言い方かもしれないが、私はフィロメナは、子供を人間だと思っていないと思う。

 

 私は、オリオルが生まれた時のことを人生で一番素晴らしい瞬間として覚えている。オリオルは、生れ出てすぐに、助産婦さんが私の胸に載せてくれた。「おお、こんにちは、私の赤ちゃん!」と呼ぶと、オリオルは生れ出る戦いですっかり消耗していたけど、か細い声で泣くのをやめ、私の声のしたほうを見ようと頭をもたげ、こちらを見た。かわいい!こんなに素晴らしい赤ちゃんは、世界に一人もいないに違いない。オリオルは未熟児だったから、ほかの赤ちゃんよりずっと小さかった。ほかの赤ちゃんはでかくて、ちっともかわいくなかった。おっさんみたい。私のオリオルは、なんて小さくて、なんてきゅっと細かくいろいろなものが完璧にできていて、かわいいんだろう。この小さなとがった顎、大きな好奇心いっぱいの目、不思議な動き方をする腕…みんな最高だった。

 そのすぐ後に、双子の妹カッサンドラが誕生した。カッサンドラは色白で、黒髪で、黒い瞳をしていて、非常に美しかった。オリオルよりも少し大きく、しっとりと女らしかった。一瞬私の頭はぐらついた。今までオリオルが最高位についていた私の価値観の地軸が、ぐら~とカッサンドラに合った。カッサンドラは世界で一番美しい赤ちゃんだった。こんな、こんなに壊れそうな、希少で貴重な美女が、私のものだなんて。私は気恥ずかしいほど誇らしかった。

 この体験は、すべての母親が自分の赤ちゃんを見た時に、感じることなんじゃないかと思う。耳の形が違っていたら、どっちの耳も素敵だと思い、違っているのが一番いんだと思うのが、本当なんじゃないか。

 

 が、フィロメナは違うのだ。自分が欲しかった赤ちゃんと、コリーヌはちょっと違っていたのかもしれない。

 でも結局、コリーヌはブランディンの完璧性をたたえるために生まれてきたみたいなところがあったかもしれない。だから、コリーヌの成績が良かったり、生まれつきの才能を持っていることは、無視された。

 うんと優しい見方をすれば、だれだって一番上の子がかわいいというのは、多少はあるのかもしれない。でもそれにしても、次のエピソードを聞くと、かなり重症だと誰だって思うのではないかと思う。

 

 それは、コリーヌが小学校の一年生くらいのことだった。ある日、フィロメナは、コリーヌの足が内股で、膝が曲がっていることに気が付いた。それはフィロメナには大問題だった。コリーヌの足は、まっすぐな美しい脚ではない。それは受け入れがたいことだった。

 どのようにしてそれが可能だったのか知らないが、痛かったわけでも、運動に障害があった訳でもないのに、コリーヌの脚は手術された。膝と足のつま先が前を向くように外科手術で矯正されたのである。

 コリーヌは、その後何か月もの間、両足にギブスをはめていた。日常生活をどのように送っていたのか、誰も話してくれないからわからないが、想像するに常に介助が必要な状態だったはずだ。

 その話を、私は家族がそろっている場で何度か聞かされた。フィロメナは、コリーヌの脚は美しくなかった、と言った。私はそんなことしていいの?と思ったが、よくわからなかった。彼らにとっては、それは必要なことで、まるで歯列矯正をするかのように、考えられていた。

 

 だが、それからずっと経って、4年ほど前、ラインハルトと別れた後にコリーヌに会った時、コリーヌは、「そんな必要なかったのよ。今は知ってるわ。当時は、しなくちゃいけないんだって思ってたけど。そのあともずっとね。でも医学的に言って、必要なかったの。小さいとき、筋力が弱ければ内股になって膝が曲がっている子供って結構いるんだわ。だけどそのうち、筋肉が発達すれば治るのよ。もし早く治したければ、手術ではなく、筋トレだってよかったのよ。あの数か月、本当に嫌だった。」と言った。

 私もまったくその通りだと思っていた。どうしてそんなことをされたのか、コリーヌには分かっているようだったけど、それでも、私が思うほどショッキングなことだとは見ていないようだ。彼女は、そういうことはありうることだと考えているようだ。

 足が曲がっているのも、フィロメナには不良品だったんだろうし、その話をみんなにして回るのも、コリーヌには嫌なことだったのではないかと思う。コリーヌを、出来損ないの立場に置いておく必要が、フィロメナにはあったのだ。私はそれは重罪だと思う。

 

 コリーヌは博士号を取った後、アメリカに就職して出ていき、そこに10年以上とどまっていた。コリーヌはアメリカで鬱になり、カウンセリングとある牧師さんのおかげで救われ、元気になった。アメリカで付き合っていた男性と別れてしばらくして、コリーヌはフランスに戻ってきた。コリーヌが鬱を発症したのも、生育歴が関係しているに違いなかった。コリーヌとそのことを深く話し合ったことはないけど、きっと自分で分かっているんだと思う。

 私がラインハルトと別れてすぐに、コリーヌたち一家は、ペルチエ家と距離を取るようになっている。