衣谷の日記

フランス在住働くシングルマザー

ママとの会話は絶対日本語、に至るまで

 「ママとの会話は絶対日本語」、私がそれを始めたのは子供たちが小学校一年生になってからです。それ以前は、日仏の混ざったその時々で通じやすかったり出てきやすかったりした言語で話していました。国際カップル家庭や移民コミュニティではよくある、中間語みたいなものもちらほらありました。

 1~2歳から少しずつ言葉が出始めると、小さな子が話したいことを話し始めた時に、出てきた言語で自由に話させずに、日本語で話して!と腰を折るのって、親のわがままの押し付けのようにも思えて、なんだかかわいそうだったからです。

 

 フランス語使用を容認するか、ママとは絶対日本語のみとするか、グローバルな意味でどっちが子どもたちのためによかったかはあまり分からないけど、少なくとも日本語の発達においては、生まれた時から日本語を強要しておいた方がよかったと思います。そして、ちゃんと子供の自己表現の欲求をくじけさせないフォローを考えられれば、日本語を話してほしいとお願いすることは、子どもにとって私たちが想像するほど苦になることではないと思うので、これからの人たちには、そうやってみてほしいなと思います。

 もし私がフランス語を話せなければ選択肢はないのだし、それで子供がひねくれるということはないのだから、子どもの話の腰を折ることを、それほどかわいそうがる必要はなかったなと、今になっては思います。最初からやっていた方が、子供の心理的抵抗も少ないはず。

 私の場合、ある程度大きくなってからだったので、「お母さんはフランス語が話せるのに・・・」と思う部分もきっとあるでしょう。それでも、私がその宣言をした時、思った以上に簡単に、素直に聞き入れてくれました。

 

 日本で日本語しかわからない家族や幼稚園のお友だちと接するときには、自然に日本語で話す努力をし、周りが喜ぶからさらに気分よく日本語を学ぶという好循環が生まれます。あるあるだけど、小さいときに一か月日本にいるだけで、子どもたちはすっかり日本人になりますね。(笑)

 

 自分のことを振り返ると、子どもたちが生まれる前までは、私は完全にフランス社会で生活していて、何か月も日本語を話さないという時期もありました。日常生活では、仕事もプライベートもフランス語一色。私の頭の中も、不完全なフランス語で機能している状態でした。

 だから、オリオルが生まれ、看護婦さんが私の胸の上に載せてくれた瞬間に最初にかけた言葉が、「Bonjour mon bébé」でした。そのまま、0~1歳の間は、私自身がなかなか日本語での声掛けに慣れず、フランス語で話しかけることはほとんどだったように思います。しかも、誰かいると必ずフランス語でした。ほかの人に分からない言葉を使うのを失礼だと感じたせいです。

 

 それから徐々に子どもたちからも言葉が出るようになってきて、私のほうでも返答があるなら日本語も自然に話すようになり、半々くらいで幼児期を過ごしました。

 半々と言っても、私といるときは半分日本語を聞くけれど、あとは全部フランス語だったわけで、保育園や幼稚園へ行く時間も長いから、年長さんくらいまでには、フランス語優勢になります。日本語で言ってもわからないだろうな、と思えることは、ついついフランス語を使ってしまうというのが、習慣化していきました。

 そのころまでは、子育て自体が非常に大変で、何かしら簡便化しないとやっていられなかったせいもあります。一つのことを伝えるのに、フランス語なら一瞬なのに、日本語でわからせようとすると数秒余計にかかる、それを直感的に避けてしまうんですね。双子の赤ちゃんや、双子の乳幼児の子育ては、それまで私が想像することもできなかったほど、忙しく、時間的にも体力的にも大変なものでした。ゆっくりと子どもとコミュニケーションをとるという時間が、常に不足しているのです。

 なので、日本語にこだわってその時間を使ってしまうのが惜しかった。

 

 それに加えて、私は子どもたちが自発的に言おうとすること、話そうとすることを、腰を折らずに聞いてやりたかった。たぶん、それ自体はよいことだったと思います。

 なんにしろ子どもたちは、「お母さんに話す」ことが大好きな子たちになりました。時々、子どもがあまり話してくれない、学校で何をしてきたのか、何を考えているか分からない、というお母さんがいるけれど、私にはそういう悩みは今まで一度もありません。もちろん、子どもの性格によるんでしょうけど。時々は、子どもたちが先を争って、私にいろいろ話そうとするので、もっと落ちついたおとなしい性格の子供だったら楽なんだけど…と思うこともあるくらい。

 

 ママとの会話では、日本語で返すことを強要してください、お母さんもフランス語の単語で置き換えたりしないでください、と言われたのは、やはり、私のおすすめの日本語アトリエの先生からです。

 小学校に入った年だったと思います。これから、フランス語力は飛躍的に伸びるから、この時にフランス語に頼るようになったら、日本語はフランス語に追いつけなくなるという話でした。確かに人は易きに流れます。私との会話で、だんだんとフランス語での返答率が上がってきていることには、当然気づいていました。

 こうなってきたときにとるべき方法として、この忠告は本当に素晴らしいものでした。11歳になった今でも、日本語をこれだけ話せているのは、この時のこの方向転換があったからです。

 

 どんなふうにやっていったか、子どもたちの反応など、これから書き残していこうと思います。