衣谷の日記

フランス在住働くシングルマザー

バイリンガルの子供の漢字の読み書き

 昨日の続きで書いていきます。

 

 子供たちの行っている日本語アトリエで、本読みをさせていて分からない漢字が出てきたときの対処法の話。

 

 うちの双子の年齢は日本式で言うと小学校の5年生だけど、漢字能力は低学年で習う漢字を、ばらばらに30%くらい覚えているだけ。なので、小学校4~5年生くらいの読みものを渡すと、一行も読み終わらないうちに、読めない漢字にぶち当たってつっかえてしまう。

 お話のおもしろさで読み進んでいってほしい私は、私はいつも、分からない漢字が出てきたら、すぐに読み方を教えてしまっていました。漢字は読めなくても、知っている言葉は多いので、読みを教えれば話の腰を折らずに読み進めることはできます。

 ただしこのやり方、何度同じ漢字が出てきても、覚えるということがかなり難しい。かといって、出てきた漢字をドリルみたいにまじめにコツコツ書いて覚えるなどということをさせるのは、お互い大変です。

 

 こちらの学校の勉強・宿題や、ほかの習い事もあって、ほかの子たちと同じようなゲームやTVの楽しみも全くなしというわけにもいかなければ、日本語学習に日常的に労力を注がせることに、私はかなり躊躇してしまいます。それでも頑張らせれば、それなりに役立つ能力が身に着くというのもわかるけど、実際、判断が難しい問題だと思います。そのあたりのバランスは、みなそれぞれ、いろいろ悩んで決めていくしかないですよね。

 

 日本語アトリエの先生は、分からない漢字にぶち当たった時、すぐに読み方を教えず、そのままわからないところを、「なになに」と言ってそのまま文章を丸ごと読み続けさせます。

 

 つまり、「子『なになに』の行っている日本語アトリエで、本『なになに』みをさせていて『なになに』からない『なになに』字が出てきたときの『なになに』の話。」みたいな感じになります。

 普段、うちの子たちの場合、本人たちは「こんなにわからない漢字があると読めないから意味が分からない」と最初から読み解く気がないという状態に慣れてしまっているのですが、実は、この『なになに』のいっぱい出てくる文章でも、実は何となく意味が分かるということを、このやり方を見ていて気づかされました。バイリンガルの子供たちの、分からないところを適当に想像しながら理解していく能力はなかなかのもので、ひどいときには文章の半分が『なになに』でも、なーんとなく話のテーマや、肯定的なことを言っているのか否定的なことを言っているのか、誰かと誰かと誰か、何人かが出てくる話だとか、何かしら分かるわけです。

 

 それを先生は子どもたちから引き出して、「ね?漢字読めなくても、何となく意味わかったでしょ?」とおっしゃる。

 これには私は、たいへん感心してしまいました。

 

 このやり方で、毎日の本読みが、ひたすら一方通行に私が教えるものではなくなり、子どもが自分の頭で考える分量が増えました。自分で考えて気づいた、分かったその漢字の意味や読み方は、ただ受動的に教えられたものより残りやすいのでは?とも思います。

 もちろん忘れてしまって、また同じ漢字で躓くことは本当にしょっちゅうあるけれど、そういう時、私はいつも自分がフランス語を習い始めた時にフランス語の先生が言っていた「語学は、ザルで水を掬おうとするようなもの」という言葉を思い出します。すくってもすくって、大半はこぼれ落ちてしまう。それでもしつこくやっているうちに、少しずつ水が汲めるという話。

 どこまで頑張れるかわからないけど、できるだけのことはしたいと思っています。