衣谷の日記

フランス在住働くシングルマザー

ADHDと経済観念

 私の元夫は、全く貯金をしない。積立貯金というものを、今までしたことがない。私が何年もの間しつこく言い続けて、結婚生活の最後のほうに、やっとほんの1年ほど住宅積立貯金を始めたが、お金に困って壊してしまった。以来、おそらくまた全くの貯金なし生活をしているはずだ。

 

 職場を転々とはしたがサラリーマンだった時代は、元夫だけで月に30~40万円の収入があったから、私の給料も合わせると大人二人がパリで生活するには十分だった。日本や、そのほかいろんなところへあまり目的もなく旅行したり、面倒だから外食にしたり、別に大画面で見たいような作品でなくても、適当にやっている人気映画を選んで映画館で見たりと、何も考えずにお金を使っていた。いつも、彼の観たい映画と私の観たい映画は違っていて、たいてい彼の観たいポピュラー映画を観た。

 

 私自身は、その場限りの暇つぶし的楽しみのためにお金を使うことにもともとは抵抗のあるほうだったのだけど、そういうお金の使い方が新鮮に見えなくもなくて、そのほうが寛容で気前がよく、役に立つことや必要なこと、すごく好きなことにはお金を使うけど、それ以外のことには気をつけるという私の考えは、なんだか堅苦しいと思われそうだと無意識に感じていた。そういう気前のいいお金の使い方も、楽天的で、楽しみを一番に考えるラテン的なライフスタイルとしていい部分もあるのではないかと、それを試してみるようなつもりで元夫に従っていた。

 今思うと、やっぱりキリギリス的なその生活はあとで大きな痛手となったから、自分の考えもそれなりに押し通すべきだったのだけど、ほかのあらゆること同様、私は元夫のやり方に絡め取られていた。

 

 そんなだったから、もちろん元夫には全く貯金がなかった。まるで刹那的だった。私は、将来子どもができたら家を買いたいと思っていたから、就職後すぐに住宅貯金を始めた。そのほかに定期貯金なども始めた。元夫にも勧めたし、彼も口では賛成していたが、先ほど書いたように何年もの間始めなかった。一方私は、元夫との浪費生活のなかでも、住宅貯金だけはやめずに続けた。

 

 元夫は、私が不妊治療を進め、子宮内膜症の手術をして子どもを授かる可能性が高くなってきたころ、サラリーマンをやめてしまった。子どもができたら私の収入は下がることは目に見えていたから、彼がいきなり独立すると言ったときは驚いたし、心配になった。生活の安定が必要なこのときに、なぜこの人はそんなことを考えるのだろうと、腹も立った。

 ただ、彼がサラリーマンを続ける能力がないことも、これまでの度重なる転職や、それぞれの職場での問題を思うと想像できた。私は、憐憫の感情から、独立を認めざるを得なかった。というか、もし反対しても、きっとサラリーマンをやめただろうから、反対するだけ無駄だった。最初は少し反対したのだけど、私は家庭内の平和を、黙認することで買おうとした。

 それは数ある私の犯した過ちの一つである。

 

 貯金のない元夫が、何の準備も予備知識もなく、いきなり独立したのだから、いくら下請けの仕事が3~4か月分約束されていたとはいえ、早速、税金や社会保障費の請求の来る翌年からお金に困り始めた。そして、そのときには私は念願の双子を妊娠していた。

 私はそれから数年の間、壊しやすい定額貯金などの自分の貯金を壊して、何度か夫の借金を払った。住宅貯金だけは何とか守ろうと、最後の1~2年は、援助を拒否した。

 家族の買い物や家賃のために、元夫との共同口座を開いていたので、彼の個人口座でマイナスになるなどの問題が続くと、私のすべての銀行口座もカードをストップされ、引き出しが出来なくなった。そういうことが何度もあった。スーパーで買い物をして、支払おうとするとカードが決済拒否になる。買えなくてレジに商品を残して、帰宅したことも何度かあるし、その状態で、現金を持っていないときは、夕飯の1ユーロもしないパンが買えず、買い溜めてあった乾パンを子どもたちに食べさせたり、子どもが病気でも車にガソリンを入れられず、熱のある子をベビーカーに乗せて、寒い外を30分歩いてお医者に行ったりしたことも一度ではない。

 そのたびに、私のなかで元夫への怒りが膨らんでいった。

 

 そうして、離婚のための別居を始めたころには、私が死守してきた住宅貯金もまったくなくなっていて、私は親から数十万円の援助をもらい、引越しと自分の仕事のための設備費用に当てた。

 

 元夫に、長期ヴィジョンの計画性がなく、経済観念が壊滅的であることを、最初は文化的違いと私は理解していた。日本人のほうが慎重なんだ、社会福祉のしっかりしたフランスは、貯金をする人があまりいないのだ、などなど。

 そうはいっても、同世代の友だちは皆、子どもをもうけて住宅を購入する。借金をしてパンを買えない夫婦なんて、やっぱりいない。双子か生まれて必要に駆られ、私たちが持った2台の車は、2台とも私が支払った。どちらも友人や知り合いからの激安の譲受の車で、ものすごく古く、故障ばかりした。

 始めは私たちとそれほど変わらない中古車に乗っていた友人たちが、最近はハイブリットの7人乗りの新車を持ったり、奥さん用にはおしゃれな小さな外車を買ったりするようになっている。私は、来年もしオリオルのピアノレッスンのために車が必要になったら、国産の小さい中古車をやっと買えるかどうかというところだ。

 

 私には理解不能だった元夫の経済観念は、ADHDに関する数冊の本を読んだとき、これだったのかと納得した。オリオルのADHDを疑い始めたころのことだ。本に書いてあったことは、オリオルよりもよく元夫にぴったりと当てはまった。元夫は、本人も認めないし、診断も受けたことがないけど、たぶんADHDと呼ばれる発達障害だ。私はそのことを元夫に話した。

 私たちの生活を困窮させるお金に対する考え方や、彼の仕事が長続きしない問題を解決するために、彼はADHDでもちゃんと生活できるよう、そのためのスキル、方法を学んで欲しいと思ったからだ。そうした技術を身につけて、仕事やお金で成功体験を積めば、彼を苦しめている(だろうと私は思っていた)劣等感を克服できて、彼が救われると思ったのだ。

 

 ところが、彼は私のその指摘を、ただの攻撃と見た。「お前は俺を障害者扱いするつもりか。」

 私は、できるだけ傷つけないよう言い方に気をつけたつもりだし、私自身、家族にアスペルガー症候群がいて、自分自身にも問題があると分かっているのだから、発達障害を持つ人を馬鹿にしたり差別したりする気は、本当にない。ただ、その私の誠実な気持ちは伝わらなかった。私の苛立ちだけが、伝わったようだった。

 

 今は、この現状を招いた原因の一つが元夫の無責任さ、あるいはそれを改善しようとしない自省の精神のなさであることは明らかではあるが、私にも出来ることがあったことを、自分で認めたいと思う。私に出来ることは確かにあったと思う。小さな一つ一つの積み重ねのなかに。

 彼の考え方を変えることは出来なくても、映画やレストランの代わりに、もっとちゃんと自分の考えや将来のことを話せばよかった。あなたはそうしてもいいけど、私はこうするわ、と毅然としていることもできたはずだ。

 私は、どれだけ自分が恐れにしたがって生きていたかと思う。元夫を怒らせたら、私は自分の望んでいる人生を手に入れられなくなると思っていた。子どもたちに囲まれて、庭のある家に住み、好きな仕事を適度にやって、家庭生活も楽しむ、そんな人生を漠然と想像していた。それが当たり前であり、それ以外にないと思っていた。だから、不仲になるのが怖かった。結局、別れるまで、そんなことをしても自分の望む人生は手に入らなかったのだと気づかなかった。

 特に、子どもができないのが怖かった。私には、彼といっしょに破産しないように対策を実行するという選択肢もあったはずなのに、それを選ぶと、子どもが持てないという不安を持っていた。私は、元夫が、そこになんらかの関係を見ていたように感じていた。事実かどうかは分からないが、もし私が彼に反対すると、私は制裁を受けるとなんとなく感じていて、そして、一番受けたくない制裁は子どもを作らないという制裁だった。なぜそんなふうに思っていたかと思えば、やはりあの人の自己愛性背徳者的な人格のせいだと思う。

 

 それでももしかすると可能だったことは、やはり私が自分の考えを曲げずにいることで、だからと言って、相手が変わらなくてはならないとは思わないことだったのではないかと思う。結婚していても、夫婦は一人ひとり独立した人間でないとうまくいかないと言うことを、分かっていなかった。

 それにしても、その辺りのことはまだよく考えられない。今でも自分が自立しているとは言えないのではないかと思う。完全に独立したら、私は元夫の悪口を言う必要がなくなるだろうと思うから。