衣谷の日記

フランス在住働くシングルマザー

自分が美しいより

 たぶん、多くの人がそうなのではないかと思う。子どもができてから、クリスマスに子どもに何を贈ろうかと考えて、もらった子どもが喜ぶのをみると、自分がプレゼントをもらうより断然うれしい。

 

 似たようなことに思えるが、自分がきれいだと言われることより、娘が美人なのが私はうれしい。もともと、あまり容姿を重要視しない家庭環境だったと思うし、私はあまり美しくなりたいと思ったこともなく、この歳でこれから美しくなる心配もないのだから、当たり前かもしれないが。

 

 カッサンドラは変わった顔だけど、美人だ。顔だけでなく、人を惹きつける魅力のある容姿をしている。容姿は、本人の努力によって得られるものではないから、別にほめるに値しないけれど、美しいというのはうれしいことだ。人でも、風景でも、モノでも、美しいのはそれだけで力になる。

 

 カッサンドラが美しいのは、肌や髪のきめが細かいことや、睫毛が長くカールしていることや、眉毛がくっきりと長いことや、一つ一つの顔のパーツのつくりが細かいことや、肌が白いことや、体が細く、骨が華奢だということなど、物理的な部分も大きい。しかし、それより何より、あの子を美しく見せるのは、敏感な心が感じているさまざまなことが、刻々と映し出される眼や顔の表情のせいではないかと思う。ほとんど何一つ動かさずとも、あの子の心の中の漣が、その白い皮膚の内側でいつも震えているように見える。

 そして、黒い睫毛に囲まれた、少し離れた不思議な奥二重の大きな眼は、いつもきらきらとなにかを映して、視線を動かさずとも、なにかうごめいているように見えるのだ。

 

 あの子がバレリーナになりたいのは、よかったと思う。見た目も、生まれ持った才能の一つ。