衣谷の日記

フランス在住働くシングルマザー

マニピュレーターと出会ったころの私

 マニピュレーターの標的となる人には、ある一定の型があるとされている。私は、自分という人間が、その型に当てはまるのかどうか、よく分からない。

 いろんな話があるし、私は心理学者でも精神科医でもないので、ここで説明はしない。ただ、私が本で読んだことの中で、自分と関係のありそうなことだけ書いてみる。

 

 まずは、ナイーブに世界には本当に良心を持たない人などいないと信じていたということ。完全な人格者がいないように、完全な悪人もいない、というのが、私の勝手な思い込みだった。51年生きてみて、そもそも、完全な善人はけっこういるような気がするし、それと同じくらい、善であることに関心のない悪人もいるようだと思う。

 

 それから、いわゆる天才型の脳を持つ人、フランスではHP(英語のハイポテンシャルと同じ)とかSURDOUEとか言うが、そういうタイプは思考の方法が特殊で、マニピュレーターが煙に巻きやすく、マニピュレーターは、そういうタイプの人間を感じ取ると、自分の支配下に置こうとするという。

 私はテストを受けたことがないから分からないし、自分をHPと思ったことはなかったのだけど、私の父親が高機能自閉症(アスペルガ-症候群)で、母親はIQが145あるというから、私自身もなにか変わった脳の持ち主である可能性は大いにある。

 フランスのSURDOUE理論を読むと、私が日本語で読んでいた自閉系の発達障害と、多動注意欠陥系の発達障害の両方を合わせたような特質を持ちつつ、IQが高く、感情知能も高い人が描かれている。なので、フランスで言うSURDOUEは、ただ高度に頭のいい人というよりは、ちょっと発達障害系の知能の高い人、という印象だ。それだったら、当てはまるかもしれない。

 息子のオリオルが今のかかりつけの医者に初めて会った日、3年前の話だけど、その女医さんは、オリオルとほんの2分くらい話したところで、「お母さん、この子はHPじゃないかしら?」と言い出した。彼女自身、そして彼女の息子もHPで、「この目はそうよ。ほぼ間違いないわ。」と言った。そして数ヵ月後にIQテストを受け、オリオルはHPであることが判明した。実はオリオルのことは、私はADHDだと思っていた。以前かかったオリオルの心理学カウンセラーは、オリオルはアスペルガー症候群ではないかと言ったことがある。

 名前はどうあれ、脳のつくりには遺伝的要素の影響があるらしいから、家系として、発達障害型天才の脳を私たちが持っているらしいことは、確からしい。

 そういうタイプの人間の思考は、花火のように枝葉が無数に広がっていく傾向があり、普通の人の直線的な理論展開よりずっと速く、直感的に答えを出すという。それが、マニピュレーターに引っかかってしまう重大な欠点らしい。

 そう言われても、誰だって考えがいつも一つのラインにとどまって進んでいくものなのか、私には分からない。私は、考えはいつも無数の枝葉に分かれていくのが普通のことだと思っているし、天才じゃなくても、そうだという人も多いんじゃないかと思う。

 

 それら二点は、短所でも長所でもあり、それらを持っている人でも、マニピュレーターに引っかからない人は多いのではないかと思う。

 

 私の場合、いろんな意味で「日本人相手だったらひっかからなかった!」とはよく思う。

 マニピュレーターは、どこかに「弱さ」「脆さ」を持つ人を、支配対象の標的にする。外国人というのは、私の普遍的な状態ではないけど、そのときは確かに、フランスでは世間知らずであり、言語能力は子どものようで、簡単に支配できる対象であったことは間違いない。

 あのころ、私は生活が不安定で将来の見通しがはっきりせず、やりたいことはあったけど、どうやって実現すればいいか見当もつかなかった。それに、30歳を間近に学生というのは、自分でもコンプレックスだった。かと言って、それは自分で選んだ転職のための道であり、誰かの助けがなければ将来を切り開けないと思ってはいなかった。実際マニピュレーターに出会わなければ、自分で何とかしたはずだった。

 だけれども、出会ってしまったし、そしてその弱い状態を、彼は見逃さなかった。

 

 そのうえ、そのころの私が非常に不安定だった理由がもう一つある。それは、2年近く続いていた私の人生最大の恋が2ヶ月ほど前に終わったところだったことだ。

 私のほうから別れたと言えばそうなのだけど、その人とは将来がなかった。いやでいやでしょうがなかったけど、別れた。

 その恋は、少なくとも私の側には(彼の側もそうだったならいいなと今でも思う)利害関係のような曇りのない、本当の純粋な恋だった。ジェットコースターのように浮かれた、そして美しい、真新しい光に満ちた日々を過ごして、始まったばかりのパリ生活を思いっきり謳歌した。

 それがいつか終わるということを私は知っていたし、恋という出来事をなにか一生続くもののように信用することは出来なかった。恋は永遠に続かないということは正しかったけど、今思えば、その後に恋を愛と友情に変えることが出来なければ、結婚は成功しないということを、私は分かっていなかった。

 私は、恋と結婚は別物だと思い込んだ。もう私は一生分の恋をした、すごく楽しかったし、悲しかった、別れるのは死にたいくらいにつらかった、これからはあんなバカ騒ぎはやめて、かしこくなる、家族を作るために結婚をするのだ、恋はもうしないのだと思った。

 

 それは、私には見本になるようなよい夫婦が、身近に全然なかったからなんだろうと思う。大人の夫婦を間近に見ることなど、自分の親以外にはないような核家族で育った。もしかすると、私は愛というものをちゃんと分かっていなかったのかもしれないと思う。

 

 私は自分で自覚していた以上に、失恋によって痛手を受けていた。自分が間違って自殺したりしないように、私はルームシェアを始めた。マリカちゃんがいっしょに住んでいるおかげで、私は死ななかった。彼女がある朝私の死体を発見するのでは、あまりにもかわいそうだから。マリカちゃんには、私は自分の失恋のことを話さなかった。恋のことも。私は何事もなかったかのように振舞い、そう振舞うことで自分も失恋によって自分がショックを受けていることをなかったことに出来ると思っていた。

 そうやってごまかして、勉強に集中して、できるだけ早く卒業して日本で仕事を見つけようと思った。

 

 その矢先に、私はマニピュレーターと出会ったのだ。