衣谷の日記

フランス在住働くシングルマザー

マニピュレーターとマイノリティー

 今でこそ、子どもたちでさえ「お父さんは人種差別者だよ。」と言うが、以前は、私は彼ほど言葉や文化の違いの垣根を容易にかき消して、世界中の人と仲良くなれるすばらしい人はいないと思っていた。

 

 加奈子の話に続いて私が思い出すのは、彼のマイノリティーに対する態度だ。とても上手くカモフラージュしていたから、人種に関する差別意識は、そのころの私にはこれっぽっちも見えなかったが、あるとき彼はゲイに対して妙なことを言った。

 

 パリでの大学時代、美しいイリアンというゲイのクラスメートがいた。イリアンとブラジル人のルイザと私は、3人とも大学に第二課程から編入したので、自ずと大学編入後の一年目からいっしょにいることが多かった。ルイザは白人で、フランス語も上手かったけど、ほかの学生より数歳年上だった私よりもさらに年上だったし、ヨーロッパ文化圏からの留学生とは、すぐにはなじめなかった。イリアンはマルセイユ生まれのフランス人だったけど、ゲイだった。そして私は、私の行っていた大学で初めての、たった一人の日本人だった。私たちはほかの留学生のなかでもさらにマイノリティーな者同士として、お互いに表面上あまり共通点がないにもかかわらず、友だちになった。共通点と言えば、そういう「人と違う」という不安があっても、自分のやりたいことをやろうとしていたという点で、今思えば大きな共通点があったんだと思う。

 

 イリアンは、見た目も美しかったけど性格もかわいらしくて、繊細でセンスがよかった。ファッションモデルのように痩せていて、アラブ系だけど肌が白く、ギリシャ彫刻のような堀の深い小さな顔で、黒い縮れた髪は形よかった。クラスでは男の子らしい態度を取ったけど、私たちだけになると完全に女友達だった。

 イリアンは、当時の私のルームメイトで、服飾を勉強していたマリカちゃんのお気に入りになり、私たちは学校の外でも会うような友だちになった。マリカちゃんの手伝いで着飾ったイリアンと、イリアンのゲイ友だち、マリカちゃんと私とでゲイプラウドに参加したり、マリカちゃんの服のモデルになりにうちに遊びに来たりすることもあった。

 

 ところがある日、ラジオでゲイの話題が聞こえてきたとき、それに対してマニピュレーターはゲイ一般を下品に嘲笑するようなコメントを述べた。私は一瞬耳を疑った。「え?なんていったの?なぜあの人たちをバカにするようなことを言うの?」

 彼は慌てる様子もなく、自分が言ったことは君の思っているような意味ではない、と言った。今思えば、私が言った意味であることは明白なのに、ああ堂々と嘘をつかれると、「じゃあどういう意味なんだろう?」とこちらはバカ正直に考えてしまう。その隙に彼は重ねて、自分たちノーマルな人間に比べてホモセクシュアルでいることがいかに劣等なことであるかをさらっと言ってのけた。

 そのとき、実際に彼がどういう言い方をしたのか、まるで覚えていない。たぶん、矛盾だらけで意味をつかめないから覚えられないのだと思う。いつも彼がホモに対して言うことは、「自分と同じ者を愛することは、自分と違う者を愛することより簡単で、意味がない」みたいなことだったが。それはたぶんどこかからの受け売りだったと思う。それらしく聞こえるので、私も何度が引っかかって、彼が言った言葉を考えようとしてみるうちに、彼は私を煙に巻いてしまった。実際、よくよく意味を知ろうと質問をしたりしても、それ以上のことは出てこなかった。でも、そういうことは、その後何年もかけて少しずつ起こったことで、初めてマニピュレーターがゲイをバカにした時は、そんな論理を言ったかどうかも思い出せない。たぶん言わなかったと思う。

 

 私は、それが自分だけへの批判ではないとき、多少は頭がしっかりするようだ。彼の言い方の中には、イリアンと親しく付き合っている君はそんなことが分からないバカなんだ、というニュアンスが感じられもし、私はもちろん余計に腹が立ちもしたけど。

 「あなたはイリアンのことも言ってるの?あの子はとても優しいわ」と私は言った。確かに私はそう言った。「優しい」と。私にとっては、優しい=善人(物語の「悪者」に対する「いい者」)であり、それはすべての人間的な価値のなかで最もすばらしい価値を備えているということだった。そのうえ私は、その価値観はすべての人に共通で、誰にとっても、すなわちマニピュレーターにとっても、それが一番大切な価値観であると信じ込んでいた。

 だから彼が、「確かにイリアンは優しいね」と答えたとき、彼はゲイだからと言って人を差別しない、ということを私に約束すると言う意味だと私は解釈した。でもそのわりには、彼の頭の中では自分の差別の不当さをまるで分かっていないことも見て取れ、そのせいで私の頭はすっかり混乱してしまう。

 フランスに来るまで、私はゲイの人たちと身近に付き合うことがなかったし、フランスで社会的にどのように見られているのか、自分はよく知らないという認識もあった。だから、私の知らないなにかがあるのかもしれない、と思った部分もある。そういうことはいつも起こった。私は、いつもなにか彼との間で納得の行かないことがあると、それは私がフランスの文化習慣をよく知らないからなのではないかと疑った。フランスの常識を振りかざせば、彼は私を簡単に黙らせることが出来た。

 私がおかしいのかしら?と自省する人間は、あっという間にマニピュレーターのわなにかかってしまうのだ。

 それと同時に、私にはプライドや見栄もあった。彼に、非常識な人間だと思われたくない、知らないことは恥ずかしいことだとも思った。それらを利用するのは、きっととても簡単なことだったに違いない。

 

 彼がマイノリティーを攻撃するのは、ただ気持ちがいいからだ。なにかの信条があるわけではない。たとえば、カトリックが同性の結婚に反対するのは、結婚に対する信条があるからだ。でも、マニピュレーターの彼がゲイを嘲笑するのは、ただのいじめだ。それを言うと、自分が強くなったみたいで気分がいいというだけのことだ。これを理解するのには、本当にとてつもなく時間がかかった。

 だから、マニピュレーターはマイノリティのような弱い立場にある人を相手にするのが好きだ。誰にも分からない方法でハラスメントを行い、相手が怒ったら、怒った相手のほうが頭がおかしいような顔をして、周りの同調を誘う。

 

 私は、その後職場でもゲイの友だちができた。外国人もゲイも、少し「普通」の外にいるから。

 オーストリア人のウォルファンは、仕事のできる美男子で、とても控えめな性格で口数が少なかったが、お昼ご飯を職場の屋上テラスで食べる仲間にいつも入っていた。もう一人は、ノルマンディ出身のパトリックで、パリジャンの多い事務所で気後れしているように見えた。繊細な人で、ものすごく優しいけど、気が弱く、批判を恐れるようにものすごく早口で、私はいつも何度も聞き返した。でも芯は明るい楽しい人だったから、私はパトリックともよくランチを食べた。それに、パトリックは大の現代ダンスファンで、私は一度フォーサイスの公演をいっしょに観に行ったことがある。そのとき、なぜか私は彼を連れて行かなかった。パトリックと行くと言わなかったのかもしれないと思う。言ったらついてきて、なにか気まずいことをしでかしただろうから。

 私は、彼が口では否定しても、ゲイを見下していることを感じていた。だから、私はウォルファンやパトリックとは、個人的にもっと親しくなりたかったのに、それをあきらめていた。彼らを傷つけるのはいやだったし、私自身も、マニピュレーターとの間でいやな思いをしたくなかった。

 

 私の親友の一人は古くからのイギリス人のゲイの友達を持っていた。私もその子とは遠い友だちだったが、マニピュレーターとの相性が悪くてすっかり縁遠くなってしまっていた。それでも、子どもたちが生まれたあと、子どもたちに会いにきてくれたことがあった。そのとき、マニピュレーターは、どうやってなのか目の前で見ていても分からなかったが、私のゲイの友だちをゲイだということですっかり辱め、彼とは私がマニピュレーターと別れるまで、一度も会うことがなかった。

 

 私はいつか、彼らとの関係を取り戻すことがあるだろうか?ないかもしれない。その代わり、また新しい友人が出来るのかもしれない。ただ、私は20年の間にあった人たちのなかで、私が親しくなり、私を成長させてくれた人たちがいたに違いなのに、マニピュレーターの作った見えない壁の中で、私の人生を一時停止状態に保っていたのだ。しかも、誰からも強要されず、自分からその壁の中にいたのだ。そのことを、私は後悔しているけど、気づいたからには今、外に出なくてはならない。

 物理的にはマニピュレーターから離れることが出来た。それ以来、私は少しずつ以前の私を、本来の私を取り戻しつつあるとは思う。それでも、その間に弱った心の力は、自分で思っているよりずっと大きいようだ。私はまだ、精神的には壁の中にいるのかもしれない。その壁の存在は少しずつ薄まりつつあるとは思うけれど。

 私は、「これが私」と言いながら、20年前のアルバムを何度も見てみる。これから、私が失った自信を、取り戻していこう。